「この距離感がいい」
乙一による原作を映画化……とはいっても、氏の著作は読んだことがないし、当然、この原作も読んだことがないです。
なので主人公が全盲だということで、昨今流行の難病泣き映画の類かな、と思ってました。
そんな人が、この映画を観た感想文です。
中盤まで、淡々と描かれていく主人公二人の日常生活。
田中麗奈演じるミチルは可愛いな~、ノーメイクっぽいナチュラルなメイクと儚げな演技も相まって、なんだか愛おしさを感じてしまいます。
それゆえに父を亡くし、母と別れる涙のシーンは心を衝くし、なによりも他のキャラクタたちが彼女を中心に動く動機付けに、もっともらしさを与えたと思います。
ただ、個人的には家の中でウジウジしているのがイライラしましたが。
(もちろん、外での生活に恐怖を感じているという設定を理解した上で、ですが)
一方のチェン・ボーリン演じる、中国人とのハーフアキヒロ。
彼が勤める印刷会社の陰湿さと、日本が抱える差別的な慣習が、無口な彼の存在によって際立っていたような気がします。もちろん、佐藤浩市が演じるクソイヤらしい上司っぷりも、お見事。
原作ではアキヒロは日本人らしいけど、社会から途絶された人間性を表現するのに中国人とのハーフという役に変えて、チェン・ボーリンを起用したのは正解だったと思います。
ミチルが全盲なのを良いことに勝手に家に上がり込むアキヒロと、アキヒロの存在を感覚的に気付きながらも、あえてそれを許容しているミチル。
ここから密室サスペンスになるのかな? と思っていたけど、とあるアクシデントから二人の共同生活が始まります。
ともに外の世界に途絶された(と思いこんでいる)二人が、最も安心できる家の中で奇妙な共同生活を介し、なんとなく人間性を回復していく――このあたりから物語に動きが出てきて、どんどん面白くなっていきました。
んで、勝手にミチルの父親の洋服を着ていたアキヒロ――
テーブルで果物を食べるところがミチルの父親そっくりで、そしてミチルから(意図せず)父親のコートを手渡される……アキヒロが“お父さん的立場”をビジュアル的に補完したシーンは、ちょっとホロりと来ました。
これはラストシーンで、“必要とされる人間”云々のくだりをビジュアルで表現していたようで、オレ的には良いシーンでした。
この二人の共同生活にアクセントを与えるのが、アキヒロが巻き込まれた殺人事件なんだけど……まあ、正直、オレ的にはどうでも良かったです(苦笑)。
とりあえず無事、解決して良かったね、と。
で、ラストなんですが。
最後の決めゼリフをチェン・ボーリンが、たどたどしい日本語で喋るのはご愛敬として。
父親の服から自分の服に着替えたアキヒロが、二人で見つめ合いながらもチューをするわけでもなく、べったりくっつくわけでもなく、ミチルのちょっと後ろをアキヒロがついて歩く。でも、何かあったときはサッと手を差し伸べる――家の中での共同生活と同じような、あのなんとも言えない、もどかしいようなホッとするような微妙な距離感が清々しくて良かったです。
過酷な社会でいかに生きるか。生きることは大変だけど、イヤなことばかりでもない。大事な人との“距離感”が、丁寧に描かれていると思いました。
『暗いところで待ち合わせ』(映画館)
http://www.kuraitokorode.com/index.html
監督:天願大介
出演:田中麗奈、チェン・ボーリン、他
点数:6点
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます