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同人サークルA-COLORが北海道をうろうろしながら書いているブログです

パトリオット

2001-03-03 13:36:00 | 映画-2001年

「米国版ブレイブ・ハートってカンジ」

 アメリカ独立戦争を舞台とした戦争映画だが、そこに家族愛も盛り込まれている。
 主人公のメル・ギブソンはアメリカ人なので、もちろんアメリカが勝ってジ・エンドとなる。
 ちなみにパトリオットとは「愛国者」という意味。
 主人公がメル・ギブソンで、母国のために戦士として立ち上がるというストーリーのため、まるで『ブレイブ・ハート』を見ているかのようだった。

 当初は、監督が私とは徹底的に相性の悪いローランド・エメリッヒだったので、ビデオを借りるのでさえ躊躇した。
 でも見終わったら、その懸念は綺麗に消え去っていた。
 この監督の映画を観て、初めてスッキリしたラストを迎えられた。
 この監督は尺(上映時間)を多く取ってやらないと、きちんとした映画が撮れないのではないだろうか?

 中身に関していえば、時代劇版『インディペンデンス・デイ』というカンジ。
 米国人の愛国心をバリバリ煽っていて、エメリッヒ節が冴え渡っていた。
 最前線に立ってアメリカ国旗を振るメル・ギブソンの表情が、なんとも「アメリカ万歳!」な気分にさせてくれる。

 ただし、『インディペンデンス・デイ』の仇役はエイリアンだったのに対し、今回は同じ人間の英国人。
「戦争」というテーマである以上、本来は敵役(ストーリーの進行上という意味)っていうのは存在しないはずである、というのが私の持論。
 なぜなら、戦争には良いも悪いもないし、そもそもストーリーなんてものも存在しないはずだから。
 でも、現実には戦争をテーマにしていても劇映画である以上、そこにはストーリーが存在する。
 そして、そこに制作者の意図が介在すると、「敵役」も存在することになる。
 この映画でも、明らかに英国人が「敵役」だった。
 とにかく英国人は残虐で横暴で、しかも高慢で無知でいけ好かない性格と、徹底して敵役として描かれているのだ。
 制作者の製作意図は分からないが、映画から受けるイメージは明らかに英国人が、エイリアンにも等しい敵役として扱われていた。

 それに対して、米国人側のメル・ギブソンの場合、まずは戦争には反対の立場をとっている。
 だが、目の前で英国人に息子を殺されたことによって、「やむにやまれず」戦うことを決意する。
 そして、その後、仲間の家族を殺され、しまいには、もう一人の息子まで殺されてしまう。
 ここで立ち上がらなければ男が廃るというか、人間じゃないっていう立場にまで追いやられる。
 見方はいろいろあると思うけど、この辺のシチュエーションが、まさに米国人が銃を所持する大義名分と一致している。
「愛する者(国)を守るために銃を取れ」ってなカンジで。

「愛国心」「帝国支配からの脱却」「自由のため」「家族のため」……主人公や彼を取り巻く人々は、なにかしらの大義名分を掲げて戦っており、いつしかそれが正義の戦争であるかのようにテーマがすり替えられていく。
 英国人の非人情的な振る舞いが、それをさらに助長させる。
 でも、描いているのは所詮「戦争」にすぎない。
 どんなに大義名分を掲げたって、「人殺し」には変わりない。
 なのに、この映画では米国人と英国人が見事なまでに対比されていた。
 人殺しの質が変わっていくのだ。
 あるいは変えようという示唆的な技術が、たくさん用いられているのだ。
 メディアの洗脳効果というか、扱い方一つでどうとでも解釈が異なるんだな、って考えさせられる映画でもあった。

 でも、こういう映画を全世界ロードショーできるのだから、つくづくアメリカっていう国は偉大だと思う。
 もし、これが日本で、東南アジアの支配を正当化するような映画を撮ったら……公開できないどころか、世界中から猛抗議を受けることだろう。
 英国人が、この映画をどのように思っているのか、ちょっと気になるところである。

『パトリオット』(ビデオ)
監督:ローランド・エメリッヒ
出演:メル・ギブソン、ヒース・レッジャー、ジョエリー・リチャードソン、ジェイソン・アイザックス、他
評価:9点


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