ばれるずBLOG

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すぎたる者は本田平八郎忠勝

2016年05月13日 19時12分07秒 | 北勢
こんにちは、かねこさんです。
玉置浩二の歌声に酔いしれる日々を過ごしてます。
そして相変わらずの歴史好き。

この前のバレルズ活動で桑名に行きましたが、歴代の桑名城主で一番有名な方をご存知ですか?
そう、本田平八郎忠勝です。


桑名城主は、滝川一益や神戸信孝など戦国時代をさまざまな武将が努めます。
関ヶ原の戦い以後は徳川四天王の一人、本田忠勝が入封します。

桑名は東西を分ける要の場所であり、もともと統制しにくかった伊勢を含む紀州を抑える要所でもありました。
本田忠勝は57戦して一度も傷を負うことがなかったと言われるほど、戦が強かった猛将だったそうです。
なかでも、当時最強を誇った武田軍に対して、圧倒的に数の不利があったにも関わらず立ち向かいました。
大将の徳川家康を無事に逃すために殿(しんがり)を務め、自らも討ち死にすることなく見事に逃げ切ります。(一言坂の戦い)
(殿とは軍勢の最後尾のことで、戦地から離れるときに敵の追撃から味方の軍勢を守る役目)

このとき、武田信玄は「家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭に本多平八郎忠勝」と讃えたと言われています。
ちなみに「唐の頭」とはチベットや中国産のヤクの毛で出来た飾りをつけた兜のことであり、東海地方では珍しいものだったようです。

↑家康の甲冑

つまり信玄は「家康にはそのかっこええ兜と強い家臣の忠勝はもったいないわ」と嫉妬を含んだ称賛をしたわけです。

そんな本田忠勝ですが、桑名城主になるとすぐに城郭をつくったり、船着き場や天守、櫓をつくりました。
城下町も整備し、泰平の世に向けて街づくりもしました。
残念ながらその100年後には大火にあい、天守などは消失してしまいました。
現在では本丸、二の丸跡を整備し、九華公園として市民に利用されています。
堀を利用した池があり、春には約450本の桜がとてもきれいにお出迎えをしてくれます。
花見にはオススメのスポットです。


何気ない公園ですが、歴史を知るとロマンが広がりませんか?
かねこさんの歴史好きはまだまだ止まりそうにありません(笑)
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