こんにちは、リーダーです。
このことはどうしても書きたくて、急きょブログを書くことにしました。
さらば須賀利巡航船 97年余りの歴史に幕
上記記事から一分内容を引用します。
尾鷲市の尾鷲港と同市須賀利町の須賀利港を結ぶ巡航船「須賀利巡航船」が29日、最後の運航となり、
97年余りの歴史に幕を閉じた。地元住民や観光客らが乗船し、廃止を惜しんだ。
同市須賀利町は市中心部とは陸で接しておらず、車では紀北町を経由して30分以上要する「飛び地」。
巡航船は1915(大正4)年、民間業者によって就航。
現在は市と須賀利町による第三セクター「須賀利巡航」が、
尾鷲港-須賀利港間7・5キロを25分で一日4便運航している。
近年は地域の過疎高齢化とともに利用者が減少し、昨年度の利用者数は3864人と、
10年前の4分の1だった。10月からは代替交通機関として市のコミュニティバス運行が決定している。
この日の乗降客数はは計60人。午後五時発の尾鷲港から須賀利港へ向かう最終便には約20人が岸壁から出航を見送り、
「ありがとう」などと、ねぎらう声が送られた。
かつて東紀州地域には、複数の巡航船が存在したが、
鉄道や国道の開通とともに廃止。須賀利巡航船が地域で唯一の定期巡航船となっていた。
僕たちバレルズは三重県の魅力を自分たちで体験し、それを発信することが活動です。
須賀利にはちょうど今から2年前に訪れた街でした。
今回の中日新聞でも書かれている巡航船にも乗りました。
須賀利おんばんの会の方々に昼食をご用意いただき、街を案内していただきました。
帰りはこんな紙テープまで用意していただき、別れを惜しんでいただきました。
文化とは、毎日の積み重ねの中で生まれる副産物です。
そういう意味で、いつの間にか生まれ、いつの間にか絶えていくものともいえます。
消えてしまうことが惜しいものでも、
それでも、「仕方ないもの」もあるのです。
人口が減少し、個人で車を持つようになり、
道路も開通され、コミュニティバスも走るようになる。
人の通り道としては、それでいいのでしょうが、
須賀利の毎日の一つ、文化の一つが消えてしまったのかと思うと、さみしい気持ちになります。
なんでしょうね、この気持ちは。
漠然と、もったいないと思うこの気持ちはなんでしょうか。
やっぱり、好きになったんだろうなと思うのです。
あの街を、須賀利を。
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