この夏は、生まれ故郷である鳥取~出雲にかけて旅をしました。
「荒木又右衛門の墓」
江戸時代初期の剣客。「鍵屋の辻の決闘」が有名。1683年8月13日、仇討ちを果たし、鳥取の池田藩に引き取られるが、到着して17日後に急死する。表向きは病死であるが、切腹、毒殺などもささやかれる。この背景に、旗本と外様大名との複雑な意地と意地の絡み合いがある。さて、岡山の池田藩は、仇討の原因となった事件により鳥取に国替となっていたが、その時、先祖が一緒について鳥取に来たのではないかと推測される。名字の一つに(岡)が含まれるのもそのせいかも??
さて青谷上寺地遺跡の次に訪れたのは、三徳山三佛寺の「投入堂」。住職に由来を聞き、またお寺に働く方と話を交わした。話の一部を紹介すると、三徳山三佛寺の投入堂は、人里離れた400m以上の高さの険しい崖に建てられ、危険な個所がいくつもある。そのため一人での入山は認められず、二人以上でなければ入山ができない。特に、投入堂に渡るための傾斜した岩を渡る時の転落、そして参拝から下だる時に写真(下)のツタを背面で降りる際、背面降りをしてしまい、ツタに足を取られた時に掴むところがなく、年に2~3人ほど崖下に転落することによって死傷しているとのこと。まったく現場事故と同じで、ツタを持って降りるというルール無視によるもの。どこにでも現況を甘く見て、黄泉の国にまっしぐらに落ちてしまってる人がいる。
三徳山「投入堂」での修業は1300の歴史を持ちますが、その修業方法は山岳宗教という密教であり、人目のつかない修業の場であり、簡単に行くことはできません。しかたなく登山を諦め、下で唯一、一か所だけ双眼鏡で見られる場所で撮影をしました。
次に訪れたのは、古代出雲が大きな勢力を持っていると証明された妻木晩田遺跡です。鳥取で発掘された青谷上寺遺跡(脳が残ったまま発見されたことで有名)と連動し、生活様式が明らかになり、大きな歴史的事実が明らかにされてつつある。まさに山陰は古事記の宝庫。新たな発見がぞくぞく!
「黄泉比良坂(よもつひらさか)」
松江の東出雲町に、ひっそりと現世とあの世との入口があります。イザナギが死んだ妻に会いたい思いで黄泉の国に入りますが、変わり果てたイザナミに驚き逃げます。追うイザナミを大石で道をふさいでしまいます。その場所が黄泉比良坂で、観光客は誰もいなく、なにかしら神秘的な静けさが漂っています。黄泉の国に旅立った会いたい人に会える場所とも聞きますが、そのような方がいれば、是非、会いに行かれてはいかがでしょうか(汗)。
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