ababa ...ひびのおたけび

CRPS・脊髄損傷…
病は体の自由を奪い痛みで蝕む
それでも私の心は自由で在り続ける
大空を羽撃く鳥の様に...

痛いということ・・・

2004-08-28 20:00:00 | 日記

神経因性の難治性疼痛患者である、私〝あばば〟は
日々、絶え間なく365日休むことのない痛みと共に生きています。
食事中、テレビを観ている時、本を読んでいる時、車を運転中、
何をしていても痛みは途切れることはありません。
もちろん夜、眠っている時も・・・。
この痛みは、どのような薬を飲んでも、いくらブロック注射をしても、
そしてモルヒネを飲んでも治まる事はありません。
この痛みと共存しなければならなくなって、早4年が過ぎました。
今のところ、確立した治療法も薬もないのが現状です。
また、何時になれば確立された治療が解明されるのか、今のところ不明です。
なので、この痛みから解放される可能性は今、ありません。

しかし、私は、何時まで続くか解らぬ痛みで苦しもうとも声にだして
『痛い』と言いません。
声に出せば、自分の「痛い」が耳に入るからです。
「痛い」その言葉は、勇気付ける言葉ではなく、
どちらかと言うと負の要素を持った言葉です。
これ以上、自分自身を底へと追い遣りたくないからです。
時には、何時も気を張っていることに疲れることもありますが、
それも自分自身で立ち直るしかありません。
唯一の家族である母にも、私自身の弱った姿は見せません。
Historyにも書いた事がありますが、7,8年前に一度、実家に居る時、
バイト中にギックリ腰(腰痛発作)を起こしました。
バイトを切り上げ帰る事にしたのですが、
バイクで帰ることも出来ずバスに乗り帰りました。
如何にかやっとの思いで家に辿り着いたのですが、
自分の身体をどうすることも出来ない状態でした。
その様子を見ている母は、オロオロし、
私に何もしてやる事の出来ない自分を、持て余し辛そうでした。
それを見ている私も辛く、今後一切母の前で痛い素振りを見せまい。
と誓いました。
それを守る為、ヘルニアの手術の時には、
術後の痛みを見せたくなかったので、
まだ麻酔の切れないうちに帰ってもらいました。

私は、人の痛み苦しむ姿を見ているだけならば、
自分が痛い方がマシだと思うし、自分の痛がる姿を見せて、
心配させ辛い思いをさせたくもないと思っています。
こう思うのは、奇麗事かもしれませんが
私はこういう生き方しか出来ません。

どう痛みと付き合うか、どう生きていくか、
これが正しいと言える答えはないと思います。
十人いれば十通りの痛みとの付き合い方があります。
私は、痛いから出来ないという事を作りたくはありません。
好きなことは、やり通したい。痛みなんかに負けずに。
同じ痛みでも、痛いイタイと言って好きな事も何もせず、
じっとベッドで過ごす一生よりも、
痛くても出来る範囲で自分の好きなことをして暮したい。
痛みに負けたくないのです。