ababa ...ひびのおたけび

CRPS・脊髄損傷…
病は体の自由を奪い痛みで蝕む
それでも私の心は自由で在り続ける
大空を羽撃く鳥の様に...

心残りⅦ

2004-08-29 20:00:00 | 日記

心残り、後一,二回で最終回を迎えることが出来ると思います。
いやぁ~、本当に長くなって申し訳ございません。

顧問に手紙を出した後私は、無期限の休部をとりました。
私と一緒に、教室に残っていた二人も同じように。
しかし、時が経つにつれて可笑しなことになってきました。
一緒に休部をとった二人のうち一人(Aさん)は、同じクラスでした。

以前にも書いたように、私が行っていた高校は
体育館が校舎から離れていたので、
体育の授業は二時間続けてありました。
体育館を二面に分けて使うので、体育の授業は二クラスで行なっていました。
二年の時、体育の授業が一緒だったのは、一年生の商業科で、
そのクラスにはソフト部が三人いました。
ですから、顔を合わせないという事はなく、
顔を会わせる度に挨拶を交わしていました。
それが変わったのは、休部から暫く経った頃でした。
体育館にAさんと他何人かで一緒に行っていたら、
一年生の三人がやって来て、私が居ると分かっていながら
「A先輩、おはようございます」と言うのです。
態々、A先輩と固有名詞を付けて。
それからは、ずっと同じ事の繰り返しで、
ソフト部の部員とすれ違うのが辛かったです。

本来ならば部活でもし何か起きたならば、
キャプテンが間に入って話を聞くべきではないでしょうか。
私は、一年の時まだキャプテンが決まっていない時、
顧問が練習に来ないようになって部員も練習をサボるようになった時、
皆を集めて話し合いをしてクラブをまとめたりと一人でやってきました。
キャプテンはそういう事をする為にいるのではないのでしょうか。
それなのに、キャプテンになっている人は、
私に話を聞きに来ないどころか一年生と同様に避けるように
挨拶もする事がなくなりました。
休部して一ヶ月程でこのような立場になり、
もう同じチームに居る事は出来ないと心から思うようになりました。
中にはまだ挨拶する人もいましたが、部活を辞めると決心しました。

それでも、好きなソフトボールを辞める事は辛く、
直接顧問にユニホームを返すことがどうしても出来なく、
こっそり部室に入ってユニホームと退部届けを置いてくる事に決めました。

私が、退部を決断した時、他三人も一緒に辞める決断をしました。
夜、部活が終わった頃を見計らい部室の扉を抉じ開け、進入しました。
その時は、自分で購入したソフトボールの入門書やルールブックを
部へ置いていこうと思っていたので、
ユニホームと一緒に持ってきていました。

しかし、そこで見てしまったのです。
それを見た十六歳の私は、傷つきました。
何にもかも手が着かなくなるほどに・・・