ababa ...ひびのおたけび

CRPS・脊髄損傷…
病は体の自由を奪い痛みで蝕む
それでも私の心は自由で在り続ける
大空を羽撃く鳥の様に...

心残りⅧ

2004-08-30 20:00:00 | 日記

ズバリ、今日で終わる。かなぁ・・・
とにもかくにも、残すところ僅かとなったことは確かです。
それではお話しに・・・
部室に忍び入り、荷物の整理を始めました。
作業の手を休め、ふと部室の真ん中にドォンと置いてある
机に目を留めました。それは、見てはいけないモノでした。
4月頃、1年生の部員が机の端に部員全員の似顔絵を描いていました。
その中にある私の顔に、先の尖ったモノで滅茶苦茶に傷を付けられていました。
だいたい、誰がやったのか見当は付きました。
私の心は傷つきました、深く深く。何も手に付かなくなるくらい。
傷を深めたのは、理由がありました。
傷をつけた人間は、そんな事をされている事など知らない私に対して、
ひどい事をやっていながら、何もやっていないふりをして
何時もと変わらないように振舞っていたのです。
その事が私をもっと傷つけました。
ソフトの事を少しでも考えると辛く、如何したら良いのかわからず、
おかしくなってしまいそうなので、
ソフトに関する物を全て箱にしまい押入れに入れました。
グローブ・ボール・スパイク・アンダーシャツ
スライディングパンツ・ルールブック・・・
部活に寄付しようと思ったルールブックですが、
傷つけられた似顔絵を見た瞬間にその思いは消えました。

辞めて待っていたのは、もっとヒドイ仕打ちでした。
一緒に辞めた人たちを私が無理やり引っ張って辞めさせた事にしたのです。
私は、人は人自分は自分と思って生きているので、
人を巻き添えにして辞める事なんて絶対しません。
私は、ソフト部の敵になってしまいました。
人一倍、怪我をしても頑張っていた私は何だったのだろうと、
バカらしくなりました。
そういう気持ち以外に、こんな人たちと
チームプレーはしたくない・出来ないと思う気持ちも生まれていました。
しかし、定期テストにも何に関してもやる気は起こらず、
残された高校生活をどのようにして過ごしたら良いのか解らなくなりました。

顧問は数学の担当でした。
顧問の顔など見たくもない、声も聞きたくない、
同じ空間に居るのすらイヤ・・・
授業も苦にしかならず、教科書もノートも出さずの姿勢を通しました。
一応、赤点の計算をして前半にかなり貯金をしていたので、
後半の定期テストが0点でも補習なしで進級出来ると確信していました。
一番、気になった事は担任なったら如何しようと、
かなり真剣に考え退学も頭に浮かびました。
私は普通科で、その普通科は二クラスあり、
二年の進級時にクラス替えをして、三年はクラス替えがありませんでした。
二年の時の担任は音楽を受け持っており、
三年になると音楽がなくなるので担任を持ち上がる事が出来なかったので、
もしソフト部の顧問が担任になったとしたらと、かなり悩みました。
幸運な事に担任にもならず、数学の担当にもならなかったので、
本当に良かったです。

そのような状態の中でも、一つだけ思いがありました。
県の高総体前に体育館で全校生徒による壮行会が開かれます。
選手はステージに乗る事になっています。
その時にソフト部の部員から見下ろされたくないと思ったのです。
私は普段は、負けずキライでもなく、
どっちかというと負けても勝ってもどっちでも良いじゃないと、
闘争心などほとんどないのですが、この事だけは譲れぬ思いとなりました。
辞めた当初は、経験のある剣道部に入ろうと思っていたのですが、
顧問が分けのわからない変人で
入れるのか如何なのかハッキリしないでいる時に、
バレー部の顧問から入って欲しいとスカウトされたので、
バレー部に入部しました。

それでも、高校を卒業するまではソフトを忘れる事は出来ませんでした。
ソフト部側も、三年に進級し一年の進入部員が入ってきても、
ずっと私を悪者扱いしているようでした。
そして、私がキャッチャーをしたら
ベスト4に入ることが出来ないから・・・と言っていた、
県の高総体の結果はベスト8どころか2回戦敗退で終わったようです。

高校卒業して数年は、ソフトを引きずっていました。
大好きなのに辞めたから、中途半端で不完全燃焼、
辞めていなかったら否あんな人たちとはチームプレーは出来ない・・・
葛藤の繰り返し。
今現在は、ソフトが出来る身体でもなくなったし、
陸上の投擲で北京のパラリンピックを目指すという
新たなバカになって打ち込めるモノに出会え、
ソフトは過去にやっていたスポーツのなかの一つ。
そう思えるようになりました。
四年前のオリンピックはちょうど大学病院に入院中で、
同じ部屋の人のテレビを盗み見している状態でしたが、
今のような気持ちにはまだ為れてはいませんでした。
この四年間、私も私の周りも随分変化しました。
良い変化か悪い変化か今は結論を急ぎませんが、
十年後振り返った時に良い時間を過ごせたと思える人生を歩みたいですね。

長々と七回に亘り書いてしまいまして、
申し訳ございませんでした。
部活=ソフトは高校時代の全て、ソフトなしでは
高校時代を語る事は出来ない。と言っても過言ではありません。
これからの人生、あんなバカになる程打ち込める何か。
その何かを見つけることが出来るのだろうか・・・