日本の国益に実直だった田中角栄は、アメリカに先立ち、中国と国交正常化し、独自のエネルギー外交を展開した。アメリカ、キッシンジャーの怒りを買い、アメリカの子飼い東京地検特捜部に逮捕され、ロッキード事件の汚辱を受けて、死んで行った。中曽根の天下取りの野望が、その後の日本から愛国者を抹殺し、過度な植民地的隷米政治が強化された。そして今日の没落が始まった。
昭和の大宰相田中角栄、尋常小学校出で、土建屋の親父として苦労を重ねた人間田中角栄。田中角栄がもし今いきていたら、コロナに対して、どう対処したか?
日刊ゲンダイ1月1日号より
今、田中角栄が生きていたら、国民に何を訴え、どんな対応をしたか、23年間田中角栄の秘書をしていた朝賀昭氏に話を聞いた。
「子供がたくさんいるから均等に切ってあげるのは気、共産主義。自由主義は別だよ。ようかんをちょんちょんと切ってね、一番大きいのを一番下の年少の子に上げるんだよ。」-親父さんがよく言っていた。この言葉の意味は、明日食うのに困っている人にこそ、手を差し伸べるということです。
コロナ禍では、非正規社員など、弱い立場の人ほど苦しみ、命を絶つことが多いようです。自分だけが置いて行かれるんじゃないか、もう生きていても楽しいことはない、といった不安感と絶望感にさいなまれているでしょう。
親父さんなら、一番困っている人に、一番手厚く予算を使うだろう。「困難の時は国はなんぼでも借金してもいい。そういう発想に立ち、気が遠くなるような借金をしたのではないか。借金は稼げば返せる。しかし命は、一度死んでしまえば、その人の人生は終わてしまう。親父さんなら、でっかいようかんをいち早く切って一番に弱い立場の人に、配っみたはず。
親父さんは学歴もなく、本当に苦労した人でした。自分が苦労しているから人の痛みがよくわかる。苦労しない人は、頭では人の苦労がわかっても、実体験としてわからない。困っている人、弱っている人に手を差し伸べるのは、政治家として当然のことですよね。
田中角栄は、尋常小学校しか出ていないと言っているが、実は、工業関係の専門学校の夜学に通いながら、土建屋として働いていた。菅義偉は、浪人の末、唯一受かった法政大学の夜学に通うため、逃げるようにして田舎を出たと、菅の出身地の人は言っている。地元は裕福なイチゴ農家、菅が、自力でバイトで大学を出たというのも大嘘だろう。田中角栄から学んだことは、有権者には苦労話が受けるということと、集金方法だけで、その配分を学ばなかったのは、菅義偉の貪欲さの表れだろう。
田中角栄は、利権を作ったが、出すものはきちんとだしていた。今の政治家はとる勘定ばかりで、出す勘定を知らない。だからいつも小競り合いばかりしている。
金権腐敗とよく言われたものだが、翻って見ても、現状は、それ以上にひどくなっている。
竹中平蔵が政治の世界に入って以降、新自由主義という収奪のシステムが強化されている。それは、とりもなおさず、日本経済の収奪のために機能している。
田中角栄が生きていたら、この国の現状は、今ほどはひどくなっていなかっただろう。
