少し、失望と共にはある。
「どんなに頑張っても無理」と言う場合はある。
明確には、「本人に無視出来ない罪がある場合」だ。
単純に、人を殺したとか傷つけたとかじゃないのだ、表現し難いレベルで許し難い、絶対にだ、お前はゴミだ!その断言が消えない過失、と言うのがあって。
”それ”を纏ってしまうとその人は、何だか、ゴミしか生産できなくなる。
古い時代の、過失だろうか、それとも失念だろうか。
古い作品は多く、万人に向けて「頑張れば何とかなる!」”それ”を語ってしまって。
その結果、牢獄世界「ノエヴァーランド」に呼ばれる勇者が後を絶たない、と言うか。
”ここ”に居るのは罪人ら、だ。或いは、生きながら死んだ、そう言う世界。
彼らを「救う」成功者への!そう言うのは、無い。死ぬまでそのフラグは残る。
”それ”は、その被害者等じゃないと解らない憤慨だ。絶対に許さない、そのフラグは残り続けている。
第三者には、殆ど関係が無いので…つい「そんな事無いよ」そんな、空虚な台詞が出てしまう。
その先で、”それ”は次第に本性を現していく、訳で。
ともかく当面の問題として、「大賀さん」に対し、そのノエヴァーランドの住人は、挑戦を続けている。彼らは「王の権威」その決定を否定し覆す!それをブランドにしてしまったから、だ。昭和の頃は、無理が通れば道理は引っ込んだ、その格言が意味を持っていた。「昭和天皇さえ制してしまえば無理が通ったから」だ。それはもちろん、アインシュタインの時代でも同じである。そしてその果てに、太平洋戦争、それは起きた。
今の新型コロナウイルスの騒動も、似た様な帰結なのかもしれない。
一応、主張としては、相手は「大賀さん」ゲーム機、コンピュータの結果だ。
物理を正確にシミュ―レートしたその結果は、歴代の如何なる王の権威よりも正しい、正に神の神判を見せている、”筈”である。従わないのは悪だ、如何なる損害さえ妥当。
とは言うが、「ノエヴァーランド」に支配されたこの世界は、”それ”に対して立ち向かっている、訳で。
まだ解らない。「大賀さん」も人の手によって創られたモノだ。
何処かに不備が無いとも言えない。ともかく存亡の危機だ、何とかしなければ。
それは神の神判か、或いは。