不思議な位に、執着はある。
「アサルト」と言うゲームの続編を考えた。反逆し、事態の主導権を握った首謀者に対して排除命令、最新鋭特務戦車「タイガークロー」が発進する、という導入からの、戦車TPSと言う感じ。結局は最後、その、状況のコントローラーをハックした?敵戦車は、突破してきたタイガークローの砲弾一発で大破し、事態は”打開”される、訳だが。
ちょっと無視出来ない様な、「ふざけんな」それはそこに、何故か有る。
”その”意識にとってこの戦車と、それが(ゲームの中で)無しえた事?は、それだけの重要度が有る訳だ、「たかがゲーム」というニュアンスに成ってない。”それ”が破壊される可能性に対して、重い否定感が有る。「スプラッターハウス」とは、異なる感覚だ、無かった事にされる事に、狂気に近い否定が有る。
漫画でしょう?
何故かその先に、リアルな殺意も有る訳だ。
事態の想定が正しい、それを不意に感じる感覚でもある。”ここ”に乗っているのは自意識的には「神」ではある。「王の権威」昭和天皇の後継者、”その座”だ、それが何故か「ここに有る」訳だ、そこに居るから俺は神だ。当時の或いは逆に、売れなかった「ゼビウス」を売れた事にしてしまったモノ?それを、その意識は乗っ取っていた?訳だが。
有って良い物、という訳でも無いが、税金を集める、その理解からは必須な物。
ともかく経緯的には”これ”は失敗している。売り上げ的には微妙で、更に「この戦車、あげちうの(子供の頃に創っていた俺ガンプラの)ブルーガンダムを下敷きにしてませんか?」その懸念が今はある、”盗んだ”のだ、思いの外か、それは価値が有った。”それ”を相手が認める事は無いだろうが、結果と現状から考えると、ほぼ断定して良い感じはする。
ともかく把握として、”それ”を可能にした権力?そう言うのは今は、無い。
それを後ろ盾に好き勝手出来る、そんな状況では無い。
つい最近の変化、だ。良い変化か?と言うと微妙だ。良くも悪くも「親殺し」暴走を始めたそれを止める、そんな肯定の結果ではある。そこに最大の壁となっていたのが、何というか古い「天聖龍」というゲームだ、そこに登場する竜?と、物語は、奇妙な程の壁を”そこ”に残していた。
親を助けてこそ、そこに利益はあるのだ。
避けた、とも言い難い、ダメージはそこそこ深刻には出てる。それは邪魔だ、古くて役に立たなくなった”何か”だ。理解もしないし面倒でしかなく状況のストレスでさえある、それを排除して、何が悪い?
不意に居なくなったその存在は、果たして何故、居なくなったのか。
平成が始まる時には、確かに色々あったのだ。