倫理観としては、纏まってきた。
売春婦を強姦して自殺させた、その新聞記者、彼は「人命を軽視し過ぎた」のだ。
そこに起きた喪失その他は結果、対応としても同意し得る物だ、因果としても道理。
異論を挟む余地は無い、それは人命を軽視した結果として発生した欠落その他である。
妥当、ではある。
或いは”そこ”にあった「何故?」に対して、十分な返答はそこに有る。
人命は尊重せねばなりません。
優秀で無いと言う事は、排斥の理由に成らない。
一度や二度の失敗など、問題には成らない。
「何を描かねばならないか?」その、規定となる理解だ。ヒーロー達は何を目的に”悪”と戦うのか、戦わねばならないか。簡単にどうにかなる、と言う事は無い、それでも挑まねばならない、護るべきものを護る為に、出来るのが自分だけなら”それ”は、やらねばならない事だ。”それ”を支援する、そこに或いは、世界を護るに通じさえする「意味」はある。
解りやすい。
シンプルだ。
今までの懸念の、かなりの部分がこちらには望まれる形で安定する「理解」ではある。
この辺が普通に仮面ライダー等に導入される時、今までの様な「おかしいだろ」その辺はかなり、明確にダメ出しし得るようには成る、感じもある。恐ろしい事に、良くも悪くも朝日新聞社は”この辺”を明確に握っているのだ。ここを治す事が出来なければ、日本の倫理観さえ歪んだままに成る…何だか実は、そう言う領域ではあって。
人によって、「命」大事なモノ、それは様々だ。
ともかく理解として人類皆兄弟、的な感覚は「家族は大事だ」そこにも通じる。
その上で、人命を守らんとしたら?相応の抑止は必要になるし、善と悪はある。
家族の中であっても、他の「命」を害する可能性が出てしまったら、”それ”は罰せねばならない。
解りやすい。
シンプルだ。
善か悪か?で言えば、この理解の時、その売春婦を強姦し殺した「新聞記者」それは、明確に悪ではある、単刀直入に、他人の命を害したのだから。青葉容疑者の様に、「自身が害された」様な経緯がある訳でも無い、単純にその歪んだ価値観の中で、相手は”殺して良い存在だった”だけだ。昭和から平成に掛けて、「王の権威」昭和天皇の喪失と共に起きた混乱の傷跡は、多少は明確に成りつつある?それは、一つの報酬とは言えるか。
それと共に、解ってくる感覚もある。
その笑顔の向こうに有るのが、殺意だったりする場合はあるのだ。