状況に安定も有る。
新型コロナウイルスに関しては、雰囲気として「脅威」と言うニュアンスは大分薄れつつ有って…、WHOも何だか、日本の現状を評価する方向に変化は有った、様だ。ともかく日本での被害それは「風邪」以上のモノとは言えない状況には落ち着いた。時々、突発的に死ぬ例もあるが…おおむね、只の風邪で治っている、感じ。
日本の様な価値感であれば?「単なる風邪です」このウイルスはこれ以上の毒性を見せない、それは言えそう。自分の思想的には、ウイルスが人間の思想によって挙動を変える、と言う事態に不自然は感じない。時々ある、「神よ!何故このような暴挙を放置しておくのですか!?」に対する、一つの神の返答と思えば、その是非は考える部分だ。
その上で、その神によって放置されてる状況にも、自分は居る訳だが。
考える部分はある。
「赤松健とは今、あげちうの事を言うのです」
「私はセガの経営に関与しているのです」
「朝日新聞社の御家騒動にて、自分は重要な立ち位置に居るのです」
最近はここに「ガンダムSEEDの企画原案は私です」「エヴァンゲリオンもそうです」とか言うオプションも付いてきて、”ここ”の閲覧カウンタ数値が常時50以下、という現状を意識しなければ、何か不味い事態さえ起こっていてもおかしくない訳だが、カウンタ制御はまあ、今も尚効いており、それは逆に、何かの安全性、それは担保されている訳だが。
ともかく「王の権威」として、本来有ってもおかしくなかった権利、そう言うのが、戻ってきている?と言う雰囲気は…少しあるのだけど。
平成が始まる際、「機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ」で、ペーネロペーが勝利した、と言う結末その結果として、自分は「昭和天皇」その後継者として、何かの特権に付く「筈」だったのだ、が。それをその時、歪ませられ、そこに有った特権の殆どを、他者に盗まれた、訳だ。その歪みは、やがて致命的な破綻へ繋がっていくが、昭和天皇が居ない状態では、それに対して苦言を呈する存在はおらず…事態はそのまま、違和感を残したまま流れてしまった。その後、自分は「虹色宝珠」で入選を果たすも、それも隠蔽?否定され、やがて「黄昏の狩人」は盗まれ、本格的な排斥&否定、それは始まる。そう言う中で、平成と言う時代は流れて行った訳だが。
現状にも、奇妙な感覚は有る。朝日新聞社の社主を巡る御家騒動での、主体は何処か?と言う命題だ。「旧村山派」は、しかし実際にはダイレクトな継承権を持たない。「血族派」の方が継承権に関しては正当を語れても、そこには大いなる暗部が存在し、それは否定される。この時、勝利しているのが「旧村山派」でも、それは”ここ”を「次の王」としているが故、だ。如何にここに対して弱みを握った状態でも、道理を問われたら、何故か王の意向それは”ここ”に有る。
と言うニュアンスは、不意にあったりする。
世界とは、どれだけ理不尽に見えても、道理に支配されているのだ。
以前の書き物の中で語った事だが、その道理の帰結で、或いは「正当なる独裁者」が有る、と言う状況の、是非ではある。期待する結果を目指すなら、王の意向を満たさんとしている、と言う道理が無ければ状況を圧し切れない。その王の意向は、果たして道理として適当か?
確率の低い博打ではある。
会社に損害を与えてその能力にも疑問がある?それはもう責任とって貰って退社して貰うしかないでしょ。
道理は何処に。