衝突が、少し歪に成ってる気はする。
ある意味で当然だが。想像はしたくないが現在のシステムそれは、生贄を必要とはする。
強奪連鎖の最後、末端は反発し、反旗を翻すから。
”それ”を潰す事で糧とする、のだ。
反対論者も居なくなる、一時的な理想の達成。
意味が。
アインシュタインが居た頃に出来た、「軍事力の必要性」なのかもしれない。「戦争が無くなってしまう!」すると、軍事力の必要性が無くなる、”そこ”にある価値が消える。”そこ”に妙な恐慌と否定がある。建前と本音だ、日本の特徴みたいに言われていたが実際にはアメリカ側の「理屈」の、現実ではある。「ガンダム」の物語とかを考える時、最後か途中に有る疑問だ。
「戦争が無くなったら、”ここ”に居る人々は…どうやって暮らすのだろう?」
経済的な起点は、何処にあるのか?戦争は消費し続けるだけの行為だが。
「漫画だから」
しかし、実際には「表側の社会システムへの疑問でもある」訳だ。兵隊として養う人々に給料を払い続ける為には、社会に”その必要性を”認めさせねばならない。戦争は必要なのである、その時、敵が、「生贄」が必要だ。”彼ら”に反攻を決意させるまで、支援する必要がある。生贄の羊は太らせてから祭壇に捧げよ。ある種の具体例として、或いは…MMD界隈は有る訳だが。
ともかく戦争による「一時的な理想の達成」に比重を置いてる結果か、物理的な”戦争”が無くなると目的が消える、価値の起点が無くなる訳だ。色々感じる事は多い、”敵”が死なない、消えないと言うのは…ストレスだ。「このハゲー!」で有名になった豊田議員も、結局は議員に執着した、そのまま消えていく様な事はしなかった。現状の、実際のシステム?その良くも悪くも否定される面ではある。「大賀さん」紛争解決機構が決着にする時、相手は失脚するだけで死なない、”否定まではされない”のだ。”昔と違って”スッキリしない部分が…残る。昔だったら、或いはひっそりと引退して、そのまま、だろう。
「お前、アインシュタインよりも自分が頭が良いと思ってるのか?」
結局、”これ”をまだ、微妙に越えられない訳だが。
1234567890これの中で、2が悪に成った後。
134567890 世界は、こうなる。2は、例え必要でも使えない社会。
削った後は、再構成をする、ともかく削った部分は存在しないので考慮する必要もない。
繰り返す先は、0になるのだろうか。
結局アインシュタインは、その辺詳しく語らず居なくなってしまった。
後にはただ、奇妙な石碑だけが残る。