それは、有るかもしれない。
「ラストダンス」と言う歌は、相応良い作品ではある。
自分の理解では、”これ”が「曼珠沙華」の土台として有る訳だが。
ただ、描く側は期待されるA級描写、それをしてない。
ちょっと苦言と言うか、皮肉めいた描き方になってしまい、”余計”があって。
その余計を、土台はカバーしきれてない、訳だ。夫側の声は、作品には無い。
「いいなぁ、自分なんか旦那焼き殺しちゃったし」
”清姫”と言う存在は、悲恋の象徴と言うか、それとしてはある。
普通の家庭。
夫は労苦を伴いつつ職場があり給料を貰い、妻は家庭を護り、子供も居る。
もちろん良い話ばかりじゃない、衝突も有れば喪失もある、とは言えそこには家庭がある。
それを夢見た少女の願いに対して、その坊主の裏切りは、悲痛を伴ってあり。
少女は結局、おぞましき大蛇と化して、その坊主を殺し、自分も死んでしまった。
何とか、バランスだ。
これも別に、何か言いたい事が有る訳じゃないし?自身の過失もある。仕方ない話。
「エロックス2」そのテーブルの上には、”これ”は有っても問題なさそう。
と言う訳で、5%ですけど。
「令和」この時代は、平成とは少し異なって、こういう事にちょっと、執着がある。
ギブ&テイクは、無視できないのだ。対価は必ず払わねばならない、誰で有ろうと。
経済的な喪失の時代と、今の発展を考える時、”それ”を徹底する事が、まず第一だ。
それは良い時代か?と言われると、微妙だ。
でもまあ、その点に関しては、平成よりは良いかもしれない。
それでも、「平成は良かった」人々の、昭和も含んで、何かの抵抗だろうか。
「王の権威」特別が存在し、その特別は滅私奉公が基本、対価を払う必要は無かった。
水と安全はタダ、と言う世界を、その一人が無償で構築する、理想の世界とはそんな。
”それ”に伴う切り捨ても含んで、今までは、そんな世界を「良い」としてしまった。
その蓄積された理不尽は、30年に渡る不景気を、世界に敷いた訳だが。
多少の変化はある。
”これ”かどうかは微妙だが。
「ガンダム40周年記念モデル」
喫茶店のオーナーがトヨタの経営者に成ってる様な、そんなイメージは正当だろうか。