あげちうのブロマガ

剣呑は道理と無理解を背に

問題はもちろんある。

古いシニア世代には「人本位制」その理解が或いは存在しない事、だ。金本位制で成り立ってた世界で、創作と言うのは価値が無い”何か”だった。そしてそれはそれまでの歴史の常識でさえあり、芸術と言うのは一般人には無関係な代物だった、訳だが。

この時、しかし「売春婦は必要無い」この理解は、彼らには実感的に理解出来ない。

何処か誰かが、貧乏くじを引かされる、のだ。その崩落する財産を奪い取って、富と言うのは成りたっていた、ちょうどイギリスが植民地から富を吸い上げて栄華を誇った様に、それまでの世界はそれ以外での「富」と言うのはほぼ存在しなかった、訳だ。

この状況で、その犠牲者を救済しよう、それは多少の無理と共にはある。説明して解る話じゃないのだ、相手は死活問題で襲ってくるのだ、”それ”に対しては、結論で言えば?暴力以外での撃退策はほぼ、無い。

幸いと言うべきか、この時、暴力に勝るのは多く「若い方」ではある。その短絡的局面だけなら、脱出ルートは無い事は無い訳だが、だが結果で、その先に有るのは、では別の犠牲者を探しに行く…その衝動ではあって。

”この”シニア世代の暴走を理解しつつ、彼らを守らねば自身らの生活が破綻する、そう言う状況が、ちょっとある。

今の新型コロナウイルスと、それに対する対応、と言うのも”その”延長にある、と言えない事も無い訳だ。自殺者が増えてる、と言う話。経済が困窮すれば、他人のそれを横取りしてでも生き延びねばならない!と言う感覚は正論とは成る。弱い立場へと、そのしわ寄せはどんどん襲って行く。”彼ら”には、他の選択肢は見えない、この病理の本当の問題は、窮乏する”この”感覚から来るのかもしれない。

とは言え、状況を考えれば、ともかく今は、「誰かを犠牲にする」と言う事が、非常に難しくなった、とは…言える訳だ、想定する新型コロナウイルスは、その”犠牲者を求める感覚”に対して発症する。だからこそ、昔の様な道理は通らなくなった。悪漢が暴れるそれを正義の味方がなぎ倒す!と言う時、実際にはその悪漢共と言うのは、しわ寄せにしわ寄せを受けまくった人々の反撃でしか無かった、場合が多々あり。”それ”をより強いパワーで捻じ伏せても、そこに淀む物は、結局は次なる凶悪をそこに呼び出す事に成る。漫画のネタとしては定番ではあるが、それが「つまらない」に成ってきたのもまた、現実であり、”それ”が上手く行かない時、そこに有るのはグダグダな何かには成っていく訳だが。

何かの限度は、不意にそこに有る。

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