状況にストレスはある。
新型コロナウイルスは、今の理解では強奪連鎖、その肯定により発生する、のだが。その強奪連鎖が何故起きるか?と言うと、独裁性その許容に寄る。上の、パワー有る存在が「ちょっと」無理する結果、末端に届く時には増幅され、或いは略奪に近い事が発生、結論では、末端を潰し、殺してしまうのだ。理解的には売春婦と言う存在は、そんな「切り捨てられた末端」の、まだ生きてる状態の様、ではあって。
…この時、この環境は「末端は存在出来ない」と言う証明が発生し、価値の発生が止まってしまう。この発生を根本的に止めるには、頂点の独裁、独善、そう言うのは慎まねばならない、のだが。
実際に加害が発生した時、その加害者には自覚が有っても、”それ”を否定出来ない場合が多々ある。簡単な話でも、細々と営んでたラーメン屋の向こうに大手がやってきて、客を全部盗られた結果、店は廃業に追い込まれる、と言う絵は有り触れた暴挙ではあり。ぶっちゃけ、国家同士は”これ”をやり続けて現状の安定?に至った、と言う結果は実際はある。今の理解での経済的な困窮は、世界レベルで”これ”を否定出来ない事から有って、衝突を如何に中和するか?は今も面倒な話なのだけども。
或いはその中でも特に面倒になったのが、メキシコとか、ではある。
「マフィア」の台頭は、結局は国家レベルの圧力に対して潰される末端の反逆として有る、とは考えていて。より強い独裁性は”そこ”に発生し、政府も簡単には潰せなくなる、のだが。しかし、独裁性で有る事は変わらない?なら、そこには「富は発生してない」訳だ、けども。何というか、”これ”を見た目上ひっくり返すモノが、ちゃんとあって。
麻薬と言うモノは、異様と言って良い利幅を持っているのだった。
つまり、既存の感覚での「正義」を、この領域に持ち込めない訳だ。彼らは自身らの世界、環境を守る為に強力に団結し、その「邪な市場」を守ろうとする。通常の、先進国の?「正義」は、そんな彼らを敵に設定し倒す!みたいなベクトルをどうしても見せてしまう時、彼らは”それ”を受け入れる事は出来ない、訳だ。そして、それを補う為に麻薬は強力な財源と成ってしまい、同じく独裁性の強い社会は、衰退していく経済、切り捨てられる悪夢に耐える為に、麻薬を必要としてしまう。
この領域に、娯楽作品なんて、どうやって持ち込めばいいのか?ではある。
そして風俗、或いは麻薬、そう言う物の否定を正義とする外国の作品も、何故、だ。
「麻薬」その市場を守らんとするパワー、それは、どれだけ剣呑か?ではある。
今までの、”ここ”の方法論?は、果たしてそんな環境でも、問題なく浸透し得るか。
少なくとも簡単な理解では、「無理」だ。
それはつまり、日本でさえも、この辺を完全排除出来ない、と言う意味ではある。
新型コロナウイルスはしかし、或いは”それ”を強要しようとしている…そんな風にも見える時。
自分は今、何処に立っているのか。