疑問ではある。
何故「新聞記者」は、その売春婦を殺してしまったのか。
平成が始まった時に起きた、「王の権威が居ない」結果として起きた暴風、崩落の一つなのだが、未だに解決が無いまま、ただ、不快と共にそれは、そこに有って。
「お前の作品は買わない、絶対にだ」
”それ”を向けられた存在が、それを打開しようとした…その結果だったろうか。
なら、それを選択したのは誰か。
ともかくそれは、旧「統一教会」その或いは、実験として発生した悲痛ではある、今の想定では。当時「王の権威は誰か?」を問われた際、統一教会は、その正論性を問われたのかもしれない。その果てに、その過失は起きてしまった、そう言う視点もある。そして、統一教会か、そこから言われる訳だ、「お前の責任だ」と。
或いは権力に順じ、権力に従った結果として、良くある政治家の不祥事の責任を秘書が被る様な、そんな何かとして?
…とは言え、殺したのは事実であって?責任そこに、問題はある。
これは今、象徴的な話なのかもしれない。
「お上に逆らうな」
権力には従え、その果てに、その悲劇はある訳だ。
どうすれば良かったか?「それは出来ません」その時、それを言うべきだったが。
ともかくその思想の果てに、本人は本来は、重い罪人になった訳だ。
欲望の果て、だろう。
彼は「奴隷」が欲しかったのだ。
自身に逆らえない、自由になる存在が居なければ。
その果てに、この新聞記者は、強姦殺人を犯してしまった。
…それはまあ、納得のある帰結ではある。
WHOに、何故世間が従ったか?と言えば、”それ”が命を守る上では無視出来なかったから、だ。権力の存在は結局は、「自身の命を守る」そこを基幹にはする。その時しかし?「従う程に命が危険になる」のなら、それは、従うべきか否か。
今、選択すべきは何か。