解っていても、レベルの問題は有る。
”その人”は、最初は大きなレストランの、料理長だった。ただ、オーナー側の親族、というポジションでの人事で…結論として業績は悪化し、レストランは倒産、自分も収入先を失った。結果で、他のレストランに雇用はされるが、下っ端の一人として今は、その厨房に居る状況。
この時、”その人”が今、やらねばならない事は、その人も解っては居る。
一応、「理解」として今は、「テレビ」はこの”その人”と同じような境遇に陥った、と言うのは実は有る、気はする。色々な事情だ、ともかくテレビは今、以前の様な特別扱いは出来なくなった境遇の変化は、或いは有る。環境としてこれを納得しないと今後、給料も出ない訳だが、感情論その他、問題視するべき事は結構、ある。
ともかくこの境遇を、以前の”それからの継続”として、我慢し続けねばならない訳だが。
いちいち新たなオーナー側から小言を言われる前に、解っては居る事なのだけど。
以前に、さんざん語ってしまった事の殆どは、「それが自分の失敗を産んだ」と言う帰結に陥っては居る。主義主張、作家性?表現したい何か、そう言うのが結論で、客にとっては忌避されるモノでしか無かった、その現実をしかし、破綻し全てを失うまで解らない、と言うのも、あまりにも愚かだ。以前の言葉に熱を込めていればいる程、それは今の自分を責める事には成り、そして自分をまた、”あの”失敗へ誘おうとする訳だが。
…解っては居る事だ、ただ、感情論はそう言う訳にも時に行かない場合は、ある。
朝日新聞社の元社主、村山美知子氏は亡くなってしまった。結果、彼女が後ろ盾に成った何かは総じて、”その人”と、似た様な境遇か状況には陥る。その中に或いは、「テレビ」その物を体現する様な存在が居て、その境遇が現状は”その人”の様な状況ではあり。最善の帰結とは何か?ともかく、村山美知子氏の選抜には大いなる問題があって、それは総じて、その場に対して必要なレベルが、足りてなかった。
今後は、そう言う事は無しにしたい。
…それはでも下層にとってはシンデレラストーリー、そう言う物の否定かもしれない。
上の誰かに気に入られればいきなりの大抜擢が有り得た時代と、今の、才覚さえ有れば時を待たずに大きな権限が手に入る環境と。
どっち?は今も、曖昧さの中には居る。