あげちうのブロマガ

嘘だと言う名目で語る何か

4月1日である。

だから、「新型コロナウイルスは、人肉食の”感覚”を検知すると重症化するウイルスだった」それも、多分真実だろう。

志村けん氏の、死ぬまでの意識の流れ、だ。

「酒もたばこも辞めたのに、その上女もか?それじゃ生きてる意味がねぇよ」

結局多分、”それ”を曲げられないまま、そのまま亡くなってしまった。

病に衰え無様に老いて、自身の親の様に、人々に面倒を掛けまくって死ぬか、それとも。その選択は個人の自由ではあるのだろう、とは言え。新型コロナウイルスは、一気に彼の命を刈り取ってしまった。


老人、ではある。

彼はその生涯で、実際には、どれだけの加害が有るかも解らない程だ。独裁性、作家性、そう言うのは、実際には利益に成らない、隣の獲物を横取りする能力でしかない、「税金」それは結局は、”そう言うモノ”だ。それこそが成功の証だったりする世代に今、それは止めろと要求していて、多分、新型コロナウイルスとは、”そんな意向”が物理的に体現された、そう言うウイルスなのかもしれない。デザインされた、と言うのも、あながち間違いとも言えず。

志村けん氏でも、罹患すれば”この有様”だ。

他の人々も、戦々恐々としている、そう言う事だろうか。
志村けん氏が、「ストリードの連携」それに対応出来なかったか?と言うと、そこには疑問も少し、ある。ただ、瞬発的なアドリブこそが真骨頂で有る時、想定を超えた笑い、それはそこに現れてしまうのかもしれない。むしろビートたけし氏の方が、抑止が出来る感覚はある、志村けん氏その「正論」を、誰が止められただろう?一面”善い人”である時、むしろ邪よりも、抑止が難しいかもしれない。

…新型コロナウイルスは、そんな人間的な「迷い」も無く、あっさり、差別せずに、連れて行ってしまった。

そう言うモノ、なのだろうか。
そしてそれに対して今、世間のこの怯えっぷりには、世間の現状、”それ”が現れている…そう見るべきだろうか。

老人らは、もちろんだが、死にたくはない。志村けんの様な死に方は、嫌だ。
その為に、風邪のウイルス、”それ”を徹底的に防除しようとしている。
社会を止めてでも、だ。それによる経済的な損失よりも、もちろん、自身の命こそが。

彼は英雄だった、そう言うべき、だろうか。

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