あげちうのブロマガ

原価2000円の本を1000円で売る

売れれば良い、のだが。

それを実現する上で、実は重い壁がある。


「酷い表現」には、罰則がある。

「軽犯罪の重過失」1000円の万引きを”毎日”10年繰り返すと、66億円の「信用喪失」に繋がる罰則。例え数千万円程度の「重過失」だとしても、関わらせたらまずマイナス数千万円はペナルティとして発生する訳で、その重さはちょっと難しい。「酷い表現」客を怒らせる様な、”そう言うの”も、結局は似た様な話になる、それを繰り返していた人は関わらせると、作品が売れなくなる。


「成功例の無い一般人」は、参考に成らない。

「成功例」それは、要するに「利益が出た」と言う事で。しかしテレビは基本的に、給金は決まってるし、利益を出す必要が無い。この時、どんなに「失敗例」でも、成功例にカウントされてる場合、その成功体験は”実際には”損失しか発生しない、訳だ。そう言う人も、関わらせない方が、利益性の為には良い。


しかし、彼らはいわゆる「重犯罪」銀行強盗をしたとか、人を殺したとか、そう言う事をしたのか?と言うとそんな事は無い、ちょっとした手癖の悪い不良、単に「ダメな連中」だ。或いは、業界に関わらんとする執着は、人一倍強い。罪としては、たかが万引き、或いは「ちょっと特殊な表現に拘る人」でしかなく。それまで長年、才能が無いながらも関わってきた人々を、「才能が無いから」それで切り捨てる、それは邪ではあるまいか?

…という、ある意味での先生その独裁性により、彼らは問題の無い新人?よりも守られてしまう、訳だが。

その人々が作品を創ると、それは利益に繋がらない、訳だ。会社?はどんどん窮地に。

創作に利益性が無い時、それは経済の喪失を埋める事が、出来なくなる。それは原価200円のラーメンを500円で売る時、「高いよ」そう言う方向性を産んでしまい、どんどんと利益性が減ってしまう(理解があったら万引きなんかしない)。どこかでその300円分の利益を守ってくれないと、経済は維持出来ない訳だが。上記の「ダメな人々」それは、その能力を持たない。

「才能が無い」それは、或いは”彼ら”を、やんわりと断り辞めさせる為の…方便だったのかもしれない。

才能は、努力で補える。しかし、特に軽犯罪の重過失は一度発生してしまうと一生回復しない。数十万円程度の損失なら、それに比する技能により穴埋めも可能かもしれないしかし、限度は有って。盗作も、一度やったら認めない限り、或いはその創作を出す度に数千円単位の「過失」を重ねる事にはなる。「それ」はしかも、認めても過失その物は消えない訳だ、もう作家としては仕事など出来なくなる。「ストリードの連携」が利益になる!時、”彼らだけ”は特例的に「無理」だ。しかし、彼らは或いは業界の先輩としているのだ。

…彼らの執着は、そんな生存の危機に直結はしていて。「死にたくない」と必死な人々を、誰が強引に排除出来るのだろう?が、しかし。


とにかく彼らは「売れない」…それは、解っている。「なんでこんな面白くないモノしか出さないんだ?」それは、そう言う理由は後ろに有るのでは無かろうか。いわゆる「面白い」時、或いは「彼ら」を残酷に怪獣に見立ててスペシウム光線で破壊してる様かもしれないのだ。関わり合わない様にするしかない?しかしそれはその時、業界その物と、疎遠になる事を意味する…のかも。その時、業界として「悪」はどっちだろう?単に、スポンサーが金さえ払えば、仲間は助かるのだ。

状況は何となくまだ、悪くなる一方、なのだろうか。

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