あげちうのブロマガ

つはものどもがウス異本

お金が儲かれば、それで不満は無い訳で(-_-)。


今年の夏コミに関して今の所、「不満」なんで買わないんだよ?そう言うのは、薄い。売れない理由はハッキリしていて…売れる所は、「単にプロなだけ」だ。切ない現実はある。コミケの理想、アマチュアリズムでも売れる?そう言うのは…幻影でしかない。利益を出そうとしたら、それはもう商業作品と大差ないのだ、そのつもりと、技術が必要。


ニコニコ静画にあった、「コミケ出品予定サンプル」それは最早、アマチュア?そんな出来では、無い。


「当り前」しか、残ってない…、切なさは有る。お客は結局、コミケでしか買えない秘密のウス異本、邪神の”それ”を求めてあの苦行にも耐えるのだ。そこに有るのは、純然たる商業主義でしかなく、そしてその現実でしかない。コミケとは何か?或いは実際には、「一般市場の縮図」でしかなく。本来は”そう言う意図として”認証されたのかもしれない。ヒット作を探す時、一般市場でいちいち大金を博打してたら幾ら有っても足らない。「それよりは」ここで、低額で、誰でも参加出来る方向で、その可能性を探らん。そんな認証に賛同して、このお祭りはここまで大きくなった、のだが。


「売れる様になった」それには、夢も希望もあるのに、切なさは残る。


状況として、「特に無理して一般誌に載る必要が無い」その位の事態は、ある?「売れる本の作り方」そう言うのは今、解っている。後は。そのシステムに対応し得る理解と必要な技術…ただそれを持つ時、それはいつ一般誌からお呼びが掛かっても不思議じゃない、”そう言う物”では、あって。作家的には、一般誌の横暴?編集の無理難題そう言うのを前に、「じゃあ辞めます」同人で良いです、そうは言える…それは、そう言う意味ではある。気に入らないオーダーを、無理して描く必要は無いのだ。

…単に、自分で勝手に企画し自分で描いた本は、まず売れないだけだ。

帰結的には理想的だ。誰だって、頑張り次第で作家には成れるのだ(一部、特例はあり)。単に「プロ作家」それは、自分が良いと思う物を描いて売れる訳じゃない、それだけだ。”仕事”の形式を取る時、本質的な意味で、自分の理想それは描けない。今の所、”ここ”が限度、問題ないオーダーを元に、それを熟せる十分な技術にしか、換金性は無い。同人市場、商業誌では使えない様な技術や内容でもここなら売れる?

そんな物は、無い。

色々とここで、消えていった気は、する。「中華思想の皇帝」その理想も、「九尾の狐」その主張も。それらが手を取り合って、世界を破産させかねない投入を行っても利益には成らなかったが、ちょっとした「仕事しろよ」それに則る時、そこに利益はあって。作家を志し、「売れないんですけど」不満にあえいだ人々の多くは納得した、そんな状況ではあろうか。

無理して、「その先」真なる自由を!それを目指す必要性は今、薄れては居る。

自分を取り巻く環境は、今もその「一部例外は有り」その範囲にはある。形而上は、「最大幸福社会」それは存在しない。「中華思想の皇帝」や「九尾の狐」が目指す理想は夢想でしかなく、実現はしない、あくまでも手品でしか無かった。そこに居る人は、何の特権も才能も境遇的な優位も無い、ふつーの人でしかないが。フラグが取れても、意識の中には幻影は残る。

「面白くなくなった」博打じゃなくなった、それは、夢の終わりを示すのだろうか。



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