あげちうのブロマガ

とある男女の話

それは、あくまでも想定だ。

二人の、若い男女が居て。

二人は十代の内に、気づくと?お互いを夫と妻、そんな認識で考えていて。しかし、何故か二人は接点を持たないまま、やがて社会人となった。

女性の方はその後、良くも悪くも作家的な立場に成り、相応の成功を収める、が。男性の方は普通の会社員のまま、だ。やがて、平成の不景気と、DOS/Vの侵攻、そして中華思想の暗躍が始まる。”内部”の情報は、著しく制限される様に成って行った。外部との接触はご法度、それは内部の人間としても、昭和から続く「良くある話」かと思われたが、事態は悪化していった。

この状態で、二人に何の悲痛が有るのだろう?

…いや。

外部的に見たら?作家と一般人でしかない。そこに接点は無いし、関係も考えられない。歳を重ねていく、周囲は疑問に思い始める。もちろん?疑問が高まる程、お互いはお互いを意識し始めるのだろう、が。状況はそれを許さなかった。そして周囲も、何かの残酷な事を言い始める。

ともかくこの二人が「全く何の関係もない」なら。ここには何の罪も発生してないのだ。愛し合う二人を残酷に私利私欲の為に引き裂いた、訳でもなく、相手へ重い不利益を与えた訳でも、心理的苦痛を与えた訳でも無い。単に、そこに有る苦痛は、そこに居た人の自由意思の結果でしかない。そう、”このまま”なら、だ。

良くも悪くも、作家的に成功してる女性の方に対して、今の状況で?それを採用してる側が、”それ”を理解してない筈もない、訳だが。自分らは酷い加害を続けている、それを理解しながら、それは妙な綺麗事を、テレビで語り続ける事になる。

ー責任の取れる大人になるべきですー

「王の権威」と「中華思想の皇帝」その対立は微妙に、今も続いている。

この男女は居るのか?と言うと、微妙な話、だ。ともかく自分はその、男性側にある、そう言う感覚は有る。自分が語る「かむろぎ」そう言う組織?は、そんな「向こう側に居る女性ら」その他によって始まったのだ、的な話には…重いプライバシーが有る。ともかく現在が現在のままなら、その主観で女性は幸運だが男性は不幸だった、”それだけ”だ。些細な欲望の帰結としては、その犯罪性それへの執着はちょっと、幼稚でさえある。

今のままで有れば、自身らが罪に問われる事は一切ないのだ。
執着は、命懸けの、異様な剣呑さには成っていった、訳だが。

本来の執着それは利益性、だ。売れる作品を描きたい。しかし、その結果としてあの「新世紀エヴァンゲリオン」その、「ネルフと地下に隠匿されてるアダム?」そう言う構図に成った。アダムを隠匿し、一人占め?する事で、そこに利益性は発生する、が。同時に「使徒」その襲来も招いた。人類は生き残る為に、何とか使徒の襲来を防がねばならない、アダムと使徒とを、絶対に接触させてはいけないのだ!

それは「世界を護らねば!」そう叫びつつ、”現実と言う名のゴジラ”と、戦い始める事になっていった、訳だが。

「王の権威」それを”意味的に消す”事で、「中華思想の皇帝」それも、「朝鮮王朝の末裔」そこも、その主張に正当性は失った。「大賀さん」紛争解決機構、その存在の前で、貴賎の話は意味が無い。だが原理として、まず「王の権威」それが無ければ、始まらなかった話、だ。しかし、それ以上にその時、彼らが犯していた罪?それは、奇妙な程の深刻さでそこに有る。

帰結で、冒頭の男女の話、だ。
彼らが居なければ、余計な事をしなければ、妙な欲望を見せなければ。
彼らはもっと早く、普通の男女であったのかもしれない、のだ。
そして中華思想の皇帝らは、そんな人々を産んでいる事を自覚しつつ、自分らは普通の暮らしをしようとしていた訳だ。

それは、どれだけの罪だろうか。

ともかく底に、許し難いと、蠢く物は有る。

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