権限が無い、のでは無く。
「人間の自由意思には介入できない」のだ。
物理法則と同じく、目の前の崖の先へ進むなら、必要な装備が無ければ行く先はあの世だが、”それ”を止める存在はその時、何も無い、その当人の自由、だ。「大賀さん」と言う存在の感覚はその時、その選択に何の否定もしない、それは個人の自由、だ。そう言う感じで、”全て”は処理されて行く、「上手く行かない」のは、その自由意思の結果でしかない。
同じ話だ、本人の理想はともかく、物理の対応は変わらない。
「PS5」に対して、良い様な悪い様な、集中しつつあるモノ、はある。ブルーガンダムの如く、どうも最終的にはデチューンされたモノ、とは言えるがしかし。その時の混沌と、今の理解と、考えても解らない似て非なるモノ、と言うのはあって、その点でちょっと面倒は起きてる感じはする。最終的にか、話は簡単だ、「お金は何処?」ただ問題は、”それ”を構造ではなく「自分が」聞かれてる感覚が、微かに残る事か。
「PS5です」
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「大賀さん」それは私では無い、が。
自分が創った?アイコンそれは、何を指しているのか?
「ガンダムのMSとは何?」の様に、時期か思想を境に理解はズレている部分は有って、それはまだ、前任者のそれを、そのまま残しては居る。「人間は神に成れない」が、その人はそこで、”神を名乗っていた”訳だ。そして最後までか、その座を巡り戦い続けた?
”その”意向でデザインされたそれは、一体何を?
そこはとは言え、今は「王の権威」それがそこに居るのだ、意識の問題でどうにもなる部分ではある。ただ、感覚、自分の前出のアイコンがMSのデザインに成ってた?時、それは最終的にどうなる物か、そこには疑問は多々ある。
酷い例が、「アサルト」として有った訳だが。
その時もそうだ、それはその時既に、ほぼ「王の権威」それとして内定した状態だからこそ、それ以上の問題には成らなかったが、それでも「未発表のアマチュアのそれを土台にした」と言うそこはどうも大きな否定感になった。その後、その「システム2」と言う基板は何かの問題を抱え、問題を起こし、負債を産み、大した成果も出せず消えていく事に成る?誰の責任だ?!が、その後に或いは全く無関係な娼婦に向き、それを殺す所まで行った。
問題が出ている様な、出てない様な。
その場で成果を出せないのなら、それはもうそこでは使えないと言う事だ。
危機感のある、そんな言葉が何故か、そこに有る。