執着が有る。
”その”基板は、性能が高かったのだ。
それが市場に否定されてしまった、というそれは、看過し得ない。
「アサルト」と言う、ナムコの古いアーケードゲームは、経緯と言うべきか、主観的それで考えると「このゲームの為に」新規に設計されたハード、ではあり。その結果、このゲームの論理性と言うか、そう言うのに非常に強い影響を受けている、感じ。要するにこのゲームの「企画原案の」専用機、の如くなニュアンスを纏ってしまっている訳だ、が。”それ”が実は、盗品である。
まず、十分な性能を見せつつ、売れなかった(らしい)。
普通なら、「じゃあ次のソフトに」と、この基板は成らなかった、その最初の失敗に、深い溝が発生した。自分も知る限りは、当時にしろ結構なインパクトの有った新規ハードではある。拡大縮小回転と、当時としては画期的とも言えるハードパワーを搭載し、圧倒的な表現力を武器に、しかし。
「なんか嫌い」
それで、このゲームは、基板は、成果を出せなかった。
「企画原案」その、関わり具合でもある。ほぼ”何もしてない”訳だ。そして当時の理解としても、些細なパクリ、そう言うのは許容される傾向はあったし、今も”被せ”それは罪に問いにくい、そもそもほぼ発覚しない。多分と言うか、企画原案は「実はパクってます」なんて事は一切言わなかっただろう、或いは今も。何だかそこに発生する、潤沢な予算と人材により、ソフトウェアとしては十二分な出来として完成、ほぼ”完璧”な仕様が、しかし、市場には忌避された。「何が悪かったんだ?」それは関係者に、深く重いモノとして残った、もちろん企画原案にも、だ。
ともかく方法論としても、「悪かった部分は直して」次、という事に成るが、見当たらない。「なんで?」が集中する先に企画原案が居る、が、そこには責任を向けられなかった、当時の話だ、推測ではあるが多分、或いは次の「王の権威」それの候補?が担当していた、”それ”が成果を出せない、と言うのでは困る。何としても成果を出せねばならない!事から何度か挑戦を続けるが、それは失敗しか続かなかった。積み重なる負債、それは企画原案の責任か問題をあぶり出していく事にはなる。
この話の先に、或いはあの「女子高生コンクリート殺人事件」それが有る、訳だ。時系列的に、そしてその後の内容?的に、この事例が繋がってない、とも言い難い。精神的に追い込まれた「企画原案」は、打開を目指し歪んだ衝動の末に、そんな事件を起こして、そして彼?を、例の「新聞記者」だ、それを支持してた環境は、それを隠蔽する必要に迫られた。
と考えると、自分の視野範囲では接続はしていく。誰の責任だ?は、今もって解らない。その、企画原案に問題は有ったのか?結果は致命的だ、それは人を殺す所まで行く。企画原案に対して「このゴミが」そう罵倒して良い物か、或いは世間がそう罵倒した結果か、その人物は「王の権威」それとしては不適当だ、と言う事を当時の”それ”が認めれば済んだ話だったかも。それを、その人物の為か?妙にごり押しした果てに、その破綻はある。そんな闇を今もこのゲーム基板は残している、訳だが。
このゲーム基板から、その「企画原案」を切り離すべきか、それは出来るのか。
この基板を使おう、とすると必ず「アサルト」も出て来て、そしてその企画原案の影がチラつく。成功例はあるのだ、「王の権威の利益を期待しない発表済み創作」を足場にした場合は、可が出てる、感じ、なら?それは今は、そこそこ量がある、なら?
例えば、「M式貸借対照表」(時事創作2014/06/20)を土台にして、何かの探偵が活躍するパズルゲーム、とか。
しかし”これ”を評価する、と言う事はその犯罪も許容する、と言う事を意味する。だが巻き込まれた多くの負債と無念と憤慨は今も、その場には残ってる訳で。
役立たずのゴミだ。
ただ、”そこに産まれた”だけで。
理不尽は、「理不尽だ」そう、呟く。