あげちうのブロマガ

自分の後ろで見ている目

語るべき事か否か。

目指していた未来が、無い。

百万人くらい集めたステージで、ステージ上のアイドルが歌い踊り…人々は熱狂する。
その唯一の神像、その姿、”その”先にこそ未来はあったのだ。そこに立つのは誰だ?

それはもう、無い。

「コンサート」とは、「融合」そう言う意味、らしい。人々の意識が一つに成り、何かの聖域を形成し、そこに夢の様な未来は描かれ、”それ”へ向けて人々は進もうとする。現実を超えた、まるで麻薬の様な高揚。どんな事も怖くない、その理想を壊さんとする存在、それは敵だ。

それはもう、無い。


ともかく、アインシュタインは、最後の最後で失敗した。切り離せない存在が…彼がそんな、”妙な神像”になる事を否定したから、だろうか。男性?の、いや人間の良くない所、だろうか。可能性が見えると、つい…意識が向いてしまう。人々の反論も耳に入らなくなり、何故か、その地雷を踏むまで止まらない。

その前に、記憶に残る些細な、しかし重大な、破綻への兆候が見えていても、だ。

この「否定」は、或いは今もあって。或いは…中華思想の皇帝、それが失敗?したのも、”それ”が原因かもしれない。相手の願いは可能な限り叶えたい、そんな願いと、現実。その時、「自分の願いは叶わない」のだ。どっちを選択する?時、理屈だけでは、捨てられない何かは有る。

何故私が、貴方の犠牲に成らねばならないのだ。

それがもちろん、相手の夢を破壊する願いであっても、だ。


現在、「王の権威」それを持とうと、その独善も暴走も、許されない。それらの歴史的事実を経ての制約だ。これを超えよう、少し難しい事態はある。それでも、仮想通貨の様な、酷い問題を抱えていても突き進む、妙な熱意は、中々…消えないのかもしれない。

野球の試合で未来が決まる?
そんな悪夢、破壊してやる。

そっちの方が、今もパワフルだろうか。

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