あげちうのブロマガ

素晴らしい作品が売れない

自分でやってる事を自分で否定しかねない、が。

「利益を!」

その時、眼前に居る敵を倒す!事は、大きな利益には成らないか?


「…敵とは?」

何もかも、はっきりと断言できる状況ではない訳だが。恐らくは、だ。「ウルトラマンジード」それが相応の評価を受けてる状況で、若干の感覚の変化が出ていて。右か左、どっち?それが重大な案件と化しつつ有る時、善それは、どっちだろう?

主観として、MMDは「3Dでジャパニメーションを描く」事を主眼としており、そして「費用対効果の良い作品を!」目指す、そう言うベクトルのツールではあり。何らかの形で、このツールを使う創作者が、或いは視聴者が、”利益”を得ていないと、作品に価値が無い訳だ。

「何処に?」

記述は無い。

だから、相手?は、「私の方が正しい」それで押し切ろうとする、訳で。「九尾の狐」それは、全く「何故なら私には民の声が聞こえるからだ」全て私を、私が正しいと本当は支持している!という、その主観でその作品を創るか、創らせる。もちろん、「九尾の狐」はむしろ逆に、記述が有ったが故に狂って行った訳だが。お釈迦様だろうと、「悟った」それは脳内での結論である。その主観を現実否定に陥った?女性は理解出来ない、受け取る答えは「自分が正しいと思えばそれは正しい」でしかなく。

お釈迦様の教え、悟りの意味、それはその時、全く真逆に効果を発揮してしまう事に。

その時、この妖怪と化した相手に異を唱える事が出来るのは?その「結果」利益には成らなかった、”それだけ”なのだけど。売れる売れないは物理的な話だ、必要なモノを買い、不要な物は買わない原理。だから、”そこ”を軸にするしかない、がしかし。

…カウンタは制御されているのだ。

この壁から、恐らくは「九尾の狐」それが制御しているだろうそこから全面的な否定を受ける時。何とか打開を!それは、相手には明確な敵意にしか見えない、訳だ。敵を倒す!その為に生活を投げ打ってでも否定する作品を創る…、その時それは、利益を得る為の、手段の一つとして正当ではあるまいか?敵がしてくるなら、我々がそれを行って何が悪いのだろう?

その敵がいる限り、我々に利益は無いのだ。

…この主観に同調し、敵を倒す!為に採算を度外視して否定する作品を創る…それは、もちろん損害を出し続ける事には成る、訳だが。それは経済に対しても、或いは一般の倫理観に関しても重大な損害を齎すのではあるまいか?

だから。

「利益が出なければ、それは悪い作品です」


”これ”を言うしかない…、そんな状況とは言えるのだが。

先のMMDに対して、「費用対効果、悪くないですか?」なんでここまで創って文句を言われねば成らないのだろう。

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