あげちうのブロマガ

主観を習慣にして主管を通さん

それは主観だ、が。


この動画に関して言えば、「お金の力は偉大だ」そういう皮肉を言っても良い感じは…少しする。

非常に主観的な判断、だ。ただ、自分の感覚で言うとMMDそれは、「同人作家がアニメを創る」誰でも用意出来る、そう言う”普通”の環境で何処まで出来るか?と言う物では有り・・・その時。

普通の家に旋盤とか3Dプリンタは無いんですけど。

…そう言う、微妙さは、ちょっと。業界的に、理不尽さはある、気はするが。MMDの特殊性にこそ人々は希望と言うか、そう言うのを見出す時。このベクトルはちょっと、未来が無いのではあるまいかという。

しかし、これはこの作者のパワー、ではあるまいか?このクオリティを得ようとしたら、ここまで投入する!必要は有る。MMDの可能性の一端ではある、しかし。

その主観が言うには。


これは傑作な訳で。

「素晴らしい、MMDの魂が形になったかのようだ!」

とか、余計な事まで言う様な。主観的判断として、恐らくは、さほど一般人と大差ない環境の中で、「MMDの良さとは?」それを十二分に理解した上での、表現の限界に挑む!的な…そう言う感じが、そう言う評価になる。

…同意も有りつつ、疑念もある。場合によっては、投入労力に関してはどっちも同じくらいかもしれないのだ、或いは単にハード環境として、前者の方が通常の3倍くらいはパワーがありそう、そう言う。この差は何か?それは投入したコスト、設備費、「お金」である。しかし、お金とは、その人のパワーでは無いのか?

…どうだろう?

インベーダーゲームの混沌、「突破してしまう可能性」を否定するのは良くない、それを肯定さえ出来ればその絶望的状況だって打開出来たかもしれないのだ!と言う時。「お金」その使用は、その「突破してしまう可能性」そこに該当しないのだろうか?インベーダーゲームだけじゃなく、アーケードゲームをクリアする技術は結局、「とにかく投入のみ!」だ。結論で、上の作品はその投入が他とは段違いだっただけ、だ。そう言う人々こそが或いは苦境を脱する技術を有するのである…そうは言える時。

MMDがそれを否定して、良いのだろうか…しかし。微妙な否定感は、そこに。

郷に入れば郷に従え、そう言う話ではある、そうは思う。「やっぱり旋盤位は買わないとダメだ」とか、模型を趣味にする人がそう言われた日にはちょっと、しこしこ紙やすりで磨く行為に重い疑念は発生は、する。でも、ガレージキットを自作し即売会に売りに行く様な人々は、むしろ3Dプリンタ位持ってるのが或いは”普通”ではあるまいか(いや結構高いて)。そう言う、趣味を超えた領域、それをMMDは、今の所は否定的な立場にはある。そう言う”意識”が、MMDの魅力ではあるのだが。

「お金」を注ぎ込むそれは、善か、悪か。


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