あげちうのブロマガ

歴史と共にある過失の山

悲しい現実はある。

「新世紀エヴァンゲリオン」をフラグシップにしている限りは、”ここ”は存在しないし表に出す必要は無いし、「むしろ居ない方が良い」のだ。

少し安定した現状で、自分らが”それ”を人柱にしていた、と言う過失がある事を、良くも悪くもすっかり忘れて?いて。

”その”話、自身の特権によりとんでもない過失をしてしまった、と言うのはその一端でしかない。

そしてだからか、”その前”に、その腹立たしい存在、それは現れ続ける。
”それ”を排除する!事を優先する結果、逆に「自分が排除されそうになる」訳だ。
現れる結果は、愚者と言って良い有様かも。何が悪かったか、それは今に成ると。

ともかく今も、”ここ”は人柱、という境遇は続いている。


お金持ち?と言う階層にも、奇妙さはある。

ともかく今までの”それ”には、何か何処か過剰と欠落を有する、そう言うニュアンスはある。
ごり押しが可能で必要だった部分と、それ故に不足?欠落してしまった部分だ。
ともかく平成は、「王の権威」が居なくなった結果、彼らの衝突が時代を創った、のだが。そこにルールが無いと言うか、主観同士の衝突でしかない時、ガンダムの静止も上手く行かず、騒乱に包まれた訳だけど。

ともかく”そこ”に発生した脅威、それを排除しようとするなら、自身のその「特異な部分」は実は、否定せねばならない事には、成る。
「実際にはかなり気まずい現実は後ろに有るけど、それをおくびにも出さない」厚顔無恥さ、というのは交渉その他では重要な要素だ。
”それ”に反応する様に、相手も対抗の様に、「同じ事」をしてくる、それにより中和された後に残るのは、侵略側と防衛側、だ、この時。

例え「先人の敵討ち」的な正論が、「娼婦を強姦致死した」と言う過失を責めているにしても、だ。

その前者はその時、「誰かを人柱にしている」その過失を実は隠しているのだ。

何故か、この時この衝突は、正義を唱える正論が何か敗走する、そんな結果に成る。

正義は勝つ、のだが。

正義の果てにあるのが、何かの魔王である、それもまた、現実かもしれない。


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