やり玉にするべきか否かだが。
ゼビウスで、ふと思う。
「貴方は10万円分のモノを今、創ったのか?」
プレイヤーが遊んだ結果として、そこには”それだけの意味”が発生したのか。
状況に変化があって、良くも悪くも「システム2再生計画」的なそれが、相応の成果を「何処か」で出している、と言う事の結果かもしれない、が。次第に、とは言え定番だ、疑問は無視出来ないモノには成っていく。
「スコアって何の意味が有るの?」
家庭用ゲーム機が流行り、RPG的なモノが主流になる時、クリアする事が目的で、スコアが無意味になっていくのは当然の流れ、ではあるのだけど。それはそれで、ゲームの意味、と言う物に疑問は出てくる訳だが、それは古の混沌とも、どうしても接触はする。
「スペースインベーダー」は、ダイレクトにか、スコア=金額、ではある。
「硫黄島の決戦」を土台に考えるなら意味は有るだろうか。頑張った人々への、何かの鎮魂にも成るのかもしれない?ともかく当時の感覚としてこの辺に意識が有った、それは多分。しかし、それだけに、どれだけ獲得しても最後、「彼らは負けた」と言う、その結果は覆らないのだ…そこは、残る物は有ったか。
とは言え、その後は戦争は無い、のだ。次第に、無意味には成って行き、現代的な感覚を優先、という事にはなる、が。
テレビゲームでのスコアは、どれだけ数値が有ろうと「10万円」が上限です。
1000万点が上限と言う事は?100点=1円、です。
…とか言う定義は、意味が有るのか否か。
当時?ともかくゲームセンターが否定された、或いは大きな理由ではある。スコアを得る=お金を得る、に通じる時?どうしてもそこには過剰な暴走が始まる。そして、それだけの金額を獲得した!にも拘わらず評価されないのも問題だし、”それ”が換金されないのも憤るし、何よりそのゲームをプレイする事はそんな価値があるのか?と言う、大命題は重くある。とは言え中には有る訳で、それはもちろん、普通にヒットする訳だが。それはそれで、「儲かるのはゲームセンターとメーカーだけ?」と言う、そんな不満を膨らませる事には。
その不満を、ゲームセンターは、業界は抑止し得なかった、と言うのは有って。
結果、そこは不良の溜まり場、となって行って、剣呑を現実にし、やがては、だ。
一応、「価値」の感覚では、10万円分稼いだ、と言うのは自身の存在意義?理由、それを前にしては意味がある訳で、換金はその後の仕事、そう言うのの結果に成る、が。「俺は出来るんだよ」と言う、それは前に進む大きな力には成る、が。そのゲームは、果たして社会にとって、それだけの意味は有るのか?
どんな?
ゼビウスに関しては、クリアは無いし、ゲームオーバーに成った時にも「戦争は愚かだ」そこには繋がらない。理解としては本当に、何の意味も無い徒労、それでしかなく。最後の最後で、このゲームはプレイヤーをただ失望させるだけ、というオチには成る。そこに至るまで、学習に学習を重ねたかの「返答」は有るだけに、それはその視点では詐欺にも等しい。
…ただ、当時であっても或いは、その「最後の返答」をし得るアイディア、提言、それは「王の権威」当時なら昭和天皇、それにしか無かった…のだけど。
古い時代をまだ、少し残す必要はある、じゃないとシニア世代に依存する世界は、唐突な崩落に陥る。
ただその結果か、理解は継続され、古い執着が認められる事も無い、訳だ。
ゲームセンター、その復活?に関しては、今もまだ、暗雲しか、無い。