問題の原理ではある。
「お金」は何処で売ってますか?
また、何を出せば買えますか。
お金は、持ってる人が持っている。
また、”その相手が欲しいモノ”を提供出来れば、それでお金を買える。
しかし、不安には成る部分だ。
この時、換金を確約する物は、何処に有るのだろう?
最近ちょっとCMがあるが、「提示された条件に対して、お金が入金されている。その条件を満たせば、そのお金を得る事が出来る」的なシステムがそこに有るのなら、それはそのシステムが信用し得るのなら”そこにお金は売っている”訳だが。
イメージとしては、「ストリードの連携」それは、”そう言う物”の筈なのだけど。
そのシステムは何処に有るのか?と言うと、それは”雅”市場、その記述でしかない。
全ての人々が「換金」に関して、護らねばならないルールだ。
それを護る事が、まず第一の換金性、と言う事には成る。
…ただ、ストリードの「目的」は、必ずしもお金、と言う訳ではなく。
お金を目的にしない限りは、換金は必ずしも結果では、無い。
(0±0)神様の元で、安定しているルール、の筈だ。
護らないと、あまり好ましい結果に成らない、と言うか、「損害を与えて良い」事に成る、強制的な徴収。
しかし。
自分の実感として、換金性に不安はある。
”この”イメージが有る、と言う事は、それを指向する奴が居る、と言う事だ。
給料の未払い、不当なピンハネ、その他もろもろ。
この絵もそうだが、幼女にはその時、何が出来るだろう?
その時、ルールを護らない方が悪いのか、護れないルールが悪いのか?には対立が有る。
意識の隙を突く感じで、不幸や悲劇は襲ってくる。
その理由として提唱は出来ても、事実か否か?は被害者本人の理解次第だ。
悪魔による些細な悪戯の結果だ。その結果、京都アニメーションは大火に包まれた。
そう言う態度で居た、としたら、それは一つの因果だけど。
真偽は今も、神のみぞ知る、か。