理不尽ではある。
「凄い兵器を開発しました。単機でコロニーに陣取った敵勢力を圧倒し排除出来ます」
「いりません」
勝たなきゃいけない戦争で、”これ”を使わない?と言うのは、どういう了見か。
「戦争」と言う物への認識が、それまで語られたモノとは少し異なる物である、と言うのはある。結局は、主義と主義の対立、なのだ。その時?自軍の思想、”それに反する物”は、採用出来ない。思想は次第に変わっては行く…とは言え、それはその時、不動な物として有る。
「勝てれば良いだろう?」それは何故か、”勝てない”のだ。
結果を見なければ解らない部分はある。例の「アサルト」が売れなかった?と言うのも、”それ”に合致した結果、だったのだろう。そこにある物は、確かに「そう言う物」だ、単機で状況を変え得る力、ただその時の思想、それは、それを受け入れる事が出来なかった。
日本には、原爆はなかったかもしれないが、”それ”は或いは有ったのだ、当時も。
ただ、日本は”それ”を使わずに、負けを選択した。そして、今が有る。
旧日本軍の、何かの残る「しこり」だろうか。”それ”を使えれば勝てたのに、それの使用を、或いは天皇は許さなかった訳だ、それは思想に反する。戦争を選択しつつ、勝てる手段を使わず、何万もの兵士を犠牲にして、そのまま負けを受け入れろ?それは道理に合わない、しかし。
ともかく結果だ、日本は、或いは天皇制は今も続いていて、日本は世界有数の経済大国と、そして安全神話を背に、今も存続し続けている。当時の選択が正しいか間違いか、それはともかく、「戦争を選択した」その後の結果としては、悪くも無い現状とは言えて。
使う時も、来るのだろう。
或いは、今かも。