皇帝は誰か?と言う点において。
恐らくは、「庵野秀明」氏、だろう…とは思う、のだけど。
理由は?
彼の創作は基本的には「皇帝創作だから」。
業界内での評価は?決して高くない。
その他先生方のウケも悪い。
その割に、優遇され過ぎている雰囲気。
ウケたのが「エヴァンゲリオン」のみ。
その後、彼はリメイクを始め、ある意味で自分で壊している。
しかし、上から順に。
皇帝創作、”土台にした創作をディスる”傾向は、同人でも普通だ。
オタ傾向や行動の問題などなど、監督としては良く聞く面倒さでしかない。
他の作品をディスる、作品を戒めるその他は、昭和の頃だって結構有る。
一応物語としては、平成唯一のヒット作が「エヴァンゲリオン」ではあり。
一発の大ヒットも出ない人だって、大勢いる。
作品がグダグダに成っていくのは良くある話。
明確に証拠と言えるような要素はほぼ、無い。
問題にし得るのは、処女作である「ダイコンフィルム・帰ってきたウルトラマン」からして、「土台を利用しつつディスる」皇帝創作である、と言う部分くらいだ。その後も彼自身がインタビューで「何かを土台にしてないと自分は創れない」と語っていて。創作者としては気付くと、かなり問題があるのではあるまいか?と言う事で、その疑いは載っていく事に成る。プロとして、この方法論を、ここまでし通している作家はやっぱり、庵野氏位しか、居ない。
つまり?「と言う事はエヴァンゲリオンにも、”土台にした元ネタ”が有ったって事?」その辺と、自分の”感覚”から、「エヴァンゲリオンは、あげちうが昔に書いた”黄昏の狩人”を土台にしていた」被せた、パクっていた…そう言う推測は出来る、が。
その判断は割と、あくまでも主観の問題に近いのだ。「被せ」と言うパクリ技は非常に面倒で、表面に現れている情報からでは罰する事はほぼ、出来ない。だからこそ平成に入って、”それ”を使う?人々が台頭し始めた、訳だ。昭和天皇が亡くなって、オリジナルの供給が止まってしまった。結果、結局は、業界全体が非常にオリジナリティの無い、オタク傾向を強めてしまった訳だが。その中で、「黄昏の狩人」を土台にした人々は、相応の特権性を発生させるようになった…それは想像できる。そしてしかし?「でも、パクってるよね?」という内なる声?その他からして、作品そのものは、結局は破綻へと向かう。後に残るのは「パクったよね?」その、追い掛けてくる声と追及だ。彼らは何とかして、それから逃げねば成らなかった。
だから。
これは全て、根拠の薄い推測に過ぎない。そう考えれば一応の筋は通る、だけだ。ともかくだからこそ?その「作品がウケなくなった」ウケる作品を創れなくなった、今は、その因果に訴えるしかない…訳だが。神を恨みたくもなる、しかし。それはそれとして信仰の問題だ。「大衆は神である」それが真実でさえあれば、一応は問題は何一つない。この思想無くして?”雅”市場もストリードの連携その他も、思いつく事は無かったのだ。
という事は、神には何らかの考えが有るのだ、自分はそれに従うしかない、のだけど。
その時、「皇帝は誰?」それは明言できない。ともかく居る、それは間違いなく、そして庵野秀明氏、”そこ”には深い繋がりは有るだろう。しかし、庵野氏は創価学会とも繋がり?があると言う話。それが何を意味するのか?を考えると、事態は想像以上に、危機的な何かを孕んでいないか?