合気道鴻心館《明月会》Meigetsukai

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内弟子.4

2016年11月12日 | 合気道
⇩ 海南市井田にある祖父の鍛冶場にて
今から約40年前に撮影



・『巨人、大鵬、卵焼き 大鵬幸喜 私の履歴書』大鵬親方著

 相撲部屋は、住み込み修行の場ですが
 大鵬親方の著書(p238~)に、

 『ふき掃除、洗濯など、一から修業して、力士として人間として、だんだんと成長していくことが大事だ。』

 とあります。鍛冶職も同じで

 日常の雑用を、兄弟子や後輩らと淡々とこなしながら修行に明け暮れるという
 修行過程を持ちます。

 今では、そういう良き古き
 伝統はなかなかありませんし、私の道場でも
 今のところ出来ないのが残念です。

 技術の習得だけ、つまりいいとこ取りだけじゃ

 人間としての修行ができない。

 じゃあ、別の次元の修行場をもつ事

 それが内弟子制度です。

 単に技術の習得だけだと

 親方がどっちを向いているかがわかりません。
 つまり、気持ちが分からないことだと思います。

 気持ちが何故大切なのか、と考えるまでもなく
 合気道でも私がたまに行っている原則の中にもある通り

 最後は「氣」なんです。

 技術習得には「気持ち」がつきもので、簡単に言えば車の両輪みたいなものです。


 「岐阜県警レスキュー最前線」山と渓谷社 1600円
 著書の●P179にも

 救助にしろほかの警察活動にしろ、根幹をなすのは「気持ち」だということを痛感した

 ・山の救助にしろ携わって教えられたこと 奥谷治朗、高山警察デスク より
 

 以上は、奥谷隊員の若いころのある山岳救助場面で
 相手、つまり遭難者の命を救う「気持ち」が薄く
 、ある結果となり、
 そのことで心が痛み、
 その救助事例あっての自省の言葉《根幹をなすのは「気持ち」だ》
 ということです。

 武道、鍛冶職、山岳救助にしろ

 技術だけの世界のように見えるものは現象だけ

 表面のことは、比較的容易に真似ができます。

 しかし、対して

 目に見えない「気持ち」という「こころの技」というものがあります。


 武術しかり、鍛冶の鍛練術しかりで、

 この心の技「気持ち」と目に見える業が伴ってこそ

 『心身統一』、『心身一致』『事理一致』・・・・

 という人間としてのある種、最高形態に至るものだと思います。

 
 

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