昭和・平成・令和・さわやかに老いる日々

朝元気に目覚め、食べたいものを食べ、行きたいところに行き、会いたい人に会えることに感謝です。

今でも尊敬してる他界した義母

2023-05-25 10:54:01 | 日記

明治生まれの義母は、あと数日で100歳になる平成14年の2月に老衰で静かに他界しました。主人の元に嫁いで40年近く、義母が他界するまでの間、義母に怒られた事も悪口を言われたことも一度も在りませんでした。人の悪口も愚痴も聞いた事が在りませんでした。常に凛としていて、主人の兄弟家族がもめ事も無く過ごせたのは義母のお陰だと今でも思って居ります。4人の兄嫁さん達の悪口も聞いた事が在りませんでした。何処かの家族や嫁さん達の悪口を言うと家族が争いごとの基に成ると言ってた事が在ります。尊敬しかありません。

私が嫁ぐ日の朝、実家の父が嫁ぎ先のご両親に孝を尽くしなさいと言って送り出してくれましたので、何時もその言葉を忘れないように心掛けてましたが、義母は未熟な私の不安を微塵も感じさせない位、立派な尊敬できる義母でした。人様に礼を尽くす事や、心遣いの大切さを教わりました。今でもその事は肝に銘じて過ごしてるつもりです。義母は日常生活の中でも、身なりを整え、食事をするときやテレビを視る時でも正座をしてました。他界される1週間前までその姿は変わりませんでした。

義母が他界されるひと月前でした、わたしもそろそろお迎えが来ると思うからと言って、私と二人だけの時、T子さんには世話になった今まで本当にありがとうと言ってくださいました。私は嬉しくて思わず涙をこぼしてしまいました。実家の父に言われた事を護ってよかったと思いました。

義母の様な最期を迎えたいと思って居りますが、主人にお前さんには無理だと言われてしまいました。確かに主人の言う通りだと承知してます。義母の姿は今でもすべてが学びであったと感謝して居ります。

今日も一日笑顔で感謝して過ごせますように!!

 


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母の日のお花

2023-05-23 15:47:14 | 日記

5月14日は母の日でした。お昼前玄関のチャイムが鳴り、主人が手にして部屋に戻って来たのは、素敵なアレンジのお花でした。思わず何方がと主人に聞くと、近くのお花屋さんが持ってきてくれたようで、「いつまでもお元気で」のメッセージが書かれた、写真のアレンジのお花でした。送り主は、日頃懇意にしてる Y.I さんからでした。

サプライズのお花のプレゼントに、優しいお心遣いが何とも言えないくらい、嬉しくて、ありがたくて、胸が熱くなりました。投稿が今日になったのは、スマホから送信して、ブログに乗せることが出来なかったからです。

今日、以前からお世話になってるパソコンの先生が、我が家に来てくださって教えていただいたので、投稿することが出来ました。T先生には60歳過ぎた頃、基本から丁寧に教えて頂き、84歳の今日まで操作に行き詰まるとSOSを発信、何時でも駆けつけて下さいます。そして先生はまだ60代なのでパソコン以外にもいろんな情報を教えてくれ、衰えかけてる私の脳の活性化させ、脳活パワーを貰ってます。

常に何かに挑戦しようと思ってる私に先生は元気の源、大切な存在なのです。84歳にもなると習った事をすぐ忘れてしまうのですが、忘れても怒らない優しい先生です。また来て頂くよう次回の予約をしました。

思いがけないお花のプレゼント本当にうれしかったです。高齢の私たち夫婦の事を、何時も気に掛けて下さってる皆さんに有難く心から感謝してます。


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G7が閉幕しました。

2023-05-22 11:27:07 | 日記

以前から私は新聞を読むとき、先ず社説から読むようにして来ました。今何が起きてるか一番新しい情報を得ることが出来ると思ってるからです。(今から60数年以上前の高校の時の社会科の先生から教えられたことです)

今回のG7で、今戦時下に在るウクライナのゼレンスキー大統領が出席された事は歴史に残る位、注目される出来事だったと思います。岸田総理は日本の総理として、立派に議長の職責を果たされたと思います。G7が成功であったか不成功であったかは、今後の世界の動きに関わってくると思いますので、私達は確り見守る事が大切だと思ってます。多くの人が政治に関心を持つことで、日本のみならず世界が良い方向へ変わると思ってますが、在るテレビ局で大学生に取材をしてました。若者がG7についての質問に自分の考えを確り応えてた事は、若者は政治に無関心と思ってた私の概念が覆され、未来に明るい兆しが見えたような気がして、頼もしく思いました。

ロシアとウクライナの戦争は、ロシア指導者の身勝手な考えから始まった不幸な出来事だと思います。戦争が一日も早く終結して欲しいと世界中の人が願ってると思います。戦争は多くの人が殺傷され、家々が破壊され、美しかった田園も見るも無残な荒廃した景色となり、不幸が何重にも重なる非情な出来事なのです。人を大自然を破壊した罪は大きいと思います。大自然を侮ると必ず天罰が下ると思ってます。

ロシアの指導者は、広大な国土を持ってるにも拘らず、戦争という行為で人々を殺傷し自然を破壊して迄、ウクライナを自国に取り込みたいのでしょうが、ウクライナの人々にとっては迷惑この上ない事で、平和に暮らしてた筈が、何の因果でと解せない気持ちと腹立たしさと悔しさ悲しさはぬぐい切れないと思います。

ロシアに取って今回の戦争は、今後の国内国際的な運営に重大な影響を及ぼし、将来のロシア人の若者に大きな大きな負担を背負わせる事に成ると思います。例えロシアが勝利しても、生き残ったウクライナの国民には恨みや閉塞感が拭えず、日本の戦後の様に国の復活復興に、ウクライナ国民の心からの協力は得られないと思います。

国際会議の場では幾度も、核を使わない使わせないと言いつつ、核保有国は国のリーダーが移動する時、必ず、何時でも推せるボタンのカバンを、お付きの人に持たせて移動してるのです。ロシアがウクライナに核の脅しを懸けても、簡単に核のボタンを押せないのは、其の事でロシアの損害が計り知れない事を、ロシアのリーダーが百も承知してるからだと思います。

終戦の時7歳でしたが、未だに厳しい戦時下を潜り抜け、やっとの思いで、ソ連のナホトカから船で舞鶴港に帰国できた時、船に乗ってる皆で万歳をして喜び合った事を忘れる事は出来ません。あれから70数年経ち高齢となった今、未来の日本の若者や子供たちの事が案じられてなりません。どうぞどうぞ未来永劫日本が平和でありますようにと願った居ります。

最近は新聞を読むことが億劫になって来てます。活力を得るには、日々の出来事に敏感であることと、活気と緊張感を失うことなく、何事にも好奇心旺盛に(何時まで保てるでしょうか)と思ってるのですが、脳活を危うく感じる時も在りますので、記憶に残して置きたい様々な事を、私の記録として投稿する事が、私の今後の活力の源となりますように頑張りたいと思います。

 

 

 

 


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残念で悲しい出来事

2023-05-21 14:43:53 | 日記

歌舞伎ファンの私は、今回の市川猿之助さんの出来事は、とても残念で悲しい大変ショックな出来事でした。ここ数年歌舞伎を見る機会も無く過ごしてますが、以前は大阪松竹座や京都南座に、贔屓にしてる役者さんが出演すると、友人と良い席の予約チケットを得る為に電話をかけ合って観劇してました。猿之助さんに成られてからは一度も拝見してませんが、亀治郎の名跡の時は何度か拝見した事が在ります。

日を追うごとに、いろんなことが報道されてますが、大まかな所では、週刊誌の記事が影響してるとのことで、お気の毒な気がしてなりません。最近の週刊誌は、人の不幸を報じる事で、多くの人を不幸に不愉快にしてるような気がしてなりません。記事を書いた記者や出版社は、報道された事で様々な不幸が生じてる事をどう思ってるのでしょうか。誰からも喜ばれない出来事を公にしなくても当人同士で話し合って解決は出来ないものなのでしょうか。

もし週刊誌報道が無かったら、猿之助さんのご両親がお亡くなりに成る事はなかったのでは無いかと思って居ります。猿之助さんはもっともっと伝統歌舞伎と新しい歌舞伎に取り組むことが出来たと思います。今後歌舞伎界で活躍する事は難しいかもしれません、もし表舞台で活躍できなくても、歌舞伎界の為に力を発揮できることを見つけて、貢献して頂き歌舞伎の発展に努めていただきたいと思います。

伝統文化は、後継者が育つことが重要だと思います。以前ある著名な方が、その国を滅ぼすには武器は要らない、その国の歴史と文化を滅ぼしたら、その国は滅びると言われた事が在ります。その時私は、国の歴史と文化が如何に大切であるか知ることが出来、それからは、テレビなどで日本の伝統的な事を受け継いで頑張ってる方の報道が在ると、必ず見るようにしてます。特に若い方が何代も続いてる技の文化を何とか後世に残したいと思ってる事に、何か心強いものを感じ、勝手に誇らしい気持ちになってる自分がいることに気付きます。

烏滸がましいのですが、猿之助さんの御両親のご冥福をお祈りするとともに、関係者の方々の協力を得ながら、猿之助さんには、どうぞこれからの人生、お気を強く持って、力強く生き抜いてほしいと思います。そしてできる事ならどんな形で在れ、歌舞伎界の為に今後のご活躍をお祈り致して居ります。

 

 


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母の思い出・水餃子

2023-05-19 11:45:00 | 日記

 

今日のお昼は冷凍水餃子です。水餃子の時は、水餃子が主食なので、スープに水菜をとわかめを加え、春雨、キュウリ、じゃこの酢の物等と、サプリメントの青汁だけで済ませる事が多いです。なんとなく手抜き感はあります(笑)が、栄養的にはバランスは取れてると思ってます。

水餃子は27年前他界した母の得意料理でした。冷凍餃子が当たり前の現在とは違って、物が不足してる昭和20年代、餃子そのものが珍しかったので、母の手作り餃子は、ご近所でも評判でした。今日は餃子と言う時は、お昼ご飯が済むと母は、強力粉薄力粉を絶妙な配分で混ぜ合わせ皮を手作り、丸めてちぎり、一つ一つ皮を綿棒で伸ばし、豚肉ミンチにキャベツやニラやショウガをみじん切りにし、醤油、酒、胡椒、ごま油等の調味料を加え良くこね、200個多い時は300個位作ってご近所に配ってとても喜ばれてました。水餃子の時は、小学生だった私も皮に具を入れて包むのを手伝ってました。

十数年前、実家の父を介護してる時、だんだん食が細くなって行く父を見て、何とか食べてほしいと思って、久方ぶりに手作り餃子を作って、父に進めたところ、美味しい美味しいとお代わりをしてくれ、主治医も何でも好きなものを食べさせてあげて下さいと言って下さったので、父の大好きなお餅を入れたぜんざいなど、食べたいと言ったものを、あちこち探し買い求めて食べてもらい、ほんの少しでも親孝行できたかなと、水餃子を食べるとよく思い出します。

嫁いでからも時折母の手作り餃子を見よう見まねで手作りしてましたが、今ではすっかり市販の冷凍餃子を購入して食べてます。

今日も一日笑顔で過ごせますように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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