荒れる成人式に一言【せやろがいおじさん】
何年か前までは、沖縄だけが荒れてるかのような報道に終始していたマスコミ。
沖縄の新成人のごみ拾いが始まってからは、『こんな成人式、面白味もなんもねー』とばかりに一切報道せず、現在は派手な北九州の成人式ばかり追っかけている。
結局、マスコミの煽りに国民が乗せられてたって訳。
いい大人達が、沖縄の若者を『バカ』だの『土人』だの言って罵倒して、自分らの欲求不満、ストレス解消に使ってたということ。
レベルが低すぎる。
荒れる成人式に一言【せやろがいおじさん】
何年か前までは、沖縄だけが荒れてるかのような報道に終始していたマスコミ。
沖縄の新成人のごみ拾いが始まってからは、『こんな成人式、面白味もなんもねー』とばかりに一切報道せず、現在は派手な北九州の成人式ばかり追っかけている。
結局、マスコミの煽りに国民が乗せられてたって訳。
いい大人達が、沖縄の若者を『バカ』だの『土人』だの言って罵倒して、自分らの欲求不満、ストレス解消に使ってたということ。
レベルが低すぎる。
三宅雪子元議員が入水自殺か ストーカートラブルで昨年、悩みも
東京都大田区城南島の海岸で三宅雪子元衆院議員(54)が1月2日午後4時頃、遺体で発見されていたことがわかった。警視庁は自殺とみて調べている。
「三宅さんは、昨年12月30日、都内の自宅から失踪し、行方がわからなくなっていた。自宅には遺書が残されていました」(捜査関係者)
昨年12月に会った親しい知人はこう語る。
「年末に会った時も、いつもの元気な三宅さんでした。自殺だなんて、信じられない。いったい、何があったのか」
昨年11月、三宅さんから記者にも電話があった。その時、こう話していた。
「私の祖父は自民党で6期労働大臣をやって、労働者の『最低賃金』を作った議員。父は外交官でした。私は女性の視点から労働問題や非正規労働の問題に取り組みたいので、連合の神津里季生会長のインタビューをしませんか」
1988年、フジテレビに入社。アナウンサーの有賀さつきさん、八木亜希子さん、河野景子さんと同期。三宅さんはアナウンサーではなく、報道局で記者として活躍した。
「フジテレビが途中退職者を入社させるようになった時期で同期は70人くらいいた」とテレビ時代を回想していた。
2018年1月30日に亡くなった有賀さんは、三宅さんの結婚式の仲人。有賀さんが亡くなった時には「とにかく、絶句、絶句で涙が止まらなくて」と肩を震わせて泣いていた。
有賀さんの一周忌には記者にこう語った。
「2人で青春を過ごした人。2人で運転を交代しながら温泉へ行ったり、ゴルフへ行った。お互いに行きたいレストランを探してきて、一緒にご飯をよく食べに行ってました。有賀さんがいないんだって、時々、思い出しては悲しい思いをしています」
三宅さんは自身については、こう分析していた。
「私はADHD(発達障害)と適応障害を公表しました。国会議員としては初めて公表したのではないかと思います。発達障害にもいろいろあって、ぜんぜん仕事にはさしさわりがないんですが、やっぱりいろんな工夫が必要だったり、トラブルが起きるんですよね」
同じくADHDを公表しているアナウンサーの小島慶子さんと「なかなか公表している人が少ないので、ずーっとお会いしてゆっくり話がしてみたいなって思っています」と話していた。
昨年6月にはストーカー被害に遭っていると電話で打ち明けていた。
「電話とツイッターの脅迫を受けています。電話では『今から行く』『寿司用意しろ』とかかなりしつこかった。調べたら予備自衛官だった。この人は脅迫容疑で逮捕された」
昨年7月の参議院選挙前、記者が「立候補しないんですか?」と尋ねたところ、こう胸の内を明かしてくれた。
「私には障害のある弟がいて、両親はもう亡くなっています。秋田から立候補しようかと検討したんですが、もう決まっちゃった。出たいという気持ちはあるんですが、弟もいるし、なかなか決めかねています」
三宅さんは、フジテレビ社員から、2009年衆院選で民主党から出馬。
群馬4区で福田康夫元首相と戦い敗れたが、比例で復活当選。
「小沢ガールズ」の一人として注目を浴びた。
2012年12月の衆院選では選挙区を千葉4区に移して、小沢一郎氏の国民の生活が第一から立候補したが、落選。その後は、SNSなどで積極的に活動を展開していた。元小沢ガールズと言われても、嫌な顔ひとつせず、「平成を振り返る企画で、小沢ガールズで取り上げていただくことがあって、もしあったらぜひ、お願い」と記者に語った。
調子のいい時は、とても元気で楽しそうに話している。しかし、悪い時は、「睡眠不足なのか顔色も芳しくなく、何を聞いても『はぁ~、そうですね』というくらいで、まともな返事が来ない」と三宅さんと親しかった人は言う。
そのせいか、政治活動でもトラブルになることが何度かあった。
地元、群馬県の地方議員にモノを投げつけ刑事告訴されたことがあった。
選挙を手伝ったスタッフを、ストーカーだとして刑事告訴。反対に自身が民事訴訟で訴えられるなどして、泥沼の戦いになったこともあった。それでも、三宅さんはめげることなかった。
昨年夏に偶然、会った時には意欲を燃やしていた。
「障がい者で困っている人がいるので、ぜひ記事にしてほしい」
「こういう人たちを、助けてあげたい」
「機会があれば、また国政に復帰したい」
亡くなる3日前、三宅さんはツイッターに<死ぬまでにしたい10のこと。映画のタイトルです。余命を宣告された女性が髪を切ったり。いい映画です>
<部屋を片付けています。ある方が亡くなったあと、私に残されたものの中に大量のラブレターがありました。若き恋。内容はドラマになりそうなもの>と投稿。
三宅さんは、子供のころ、そして衆院議員時代、2度、建物から転落。だが、ケガをしただけで助かった。「それだけ強運なのよ」と周囲を笑わせていた、三宅さん。
三宅さんの裁判で代理人だった弁護士はこう振り返る。
「以前にも自殺かと騒ぎになったことがあります。けど、最近は落ち着いていると聞いていました。驚くばかりです」
ご冥福をお祈りします。合掌。(今西憲之/本誌 上田耕司)
※週刊朝日オンライン限定記事