顕宗紀[編集]
ツクヨミは、神々にかわって人間の天皇が支配するようになった時代(神代から人代に移行した後)にもまた現れる。『書紀』巻十五の顕宗紀には、高皇産霊をわが祖と称する月の神が人に憑いて、「我が月神に奉れ、さすれば喜びがあろう」と宣ったので、その言葉通り山背国の葛野郡に社を建て、壱岐県主の祖・押見宿禰(おしみのすくね)に祭らせたという記録がある。これが山背国の月読神社の由来であり、宣託された壱岐にも月読神社が存在し、山背国の月読神社の元宮と言われている。
『古事記』
『古事記』上巻では、伊邪那伎命の右目を洗った際に生み成され、天照大御神や須佐之男命とともに「三柱の貴き子」と呼ばれる。月読命は「夜の食国を知らせ」と命ぜられるが、これ以降の活躍は一切無い。伊邪那美神のいる夜見の国という説もある[9]。
『日本書紀』
神代紀
『日本書紀』神代紀の第五段では、本文で「日の光に次ぐ輝きを放つ月の神を生み、天に送って日とならんで支配すべき存在とした」と簡潔に記されているのみであるが、続く第一の一書にある異伝には、伊弉諾尊が左の手に白銅鏡を取り持って大日孁尊を生み、右の手に白銅鏡を取り持って月弓尊を生んでいる。
『続日本紀』には、光仁天皇の時代に、暴風雨が吹き荒れたのでこれを卜したところ、伊勢の月読神が祟りしたという結果が出たので、荒御魂として馬を献上したとある。
「一月二月」という日の数え方にもその名残があるように、月と暦は非常に関係が深いつまり、ツクヨミは日月を数えることから、時の測定者、暦や時を支配する神格であろうと解釈されている[2]。
2: 本来はツクヨミとは関係のない月の神を祀っていたものが、後に神話に登場するツクヨミに習合した神社。代表例は出羽三山の一社の月山神社(山形県東田川郡庄内町)である。全国にある月山神社の多くは、出羽三山の月山神社から勧請を受けたものである。
3: 京都の月読神社[15]は壱岐市の月讀神社から勧請を受けたものである。
4: 姨捨山にある冠着神社の祭神は月夜見尊と言われているが、詳しい由来は分かっていない。(姥捨山自体は月の美しく見える場所として古来より有名である)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%82%AF%E3%83%A8%E3%83%9F
ほぉ~月山と関係あんのか。
こっから下は文献にないだろうから あたしが補足するとこうだ。
月神の発祥は隠岐
月読みは暦をよみ、季節を把握する 潮の満潮と干潮をよみ 収穫に対する指針を示す
月は電気のない地域での唯一の夜間照明灯 特に山側よりも海側の月のほうが
二重の至福をもたらす
海面を照らす月は、星よりも多くの光をうつすため夜間作業の海側では特に信仰に対する
思い入れが深い。
それを隠岐の島にいる人たちは昔から備えてるはず。
それは作物に対しても海産物に対しても同時に出せる
そして月は静寂と休息 エネルギーの転換と充電 生命の育み これを指す。