今晩は
午前中雀の涙ほどの雨が・・・。もっと降って欲しかった。
お墓参りに行ったり、病院へ支払いと洗濯物を届けるなど、オジサンは大忙し。
社会を構成する人口グループのなかで、中年男ほどとことんバカにされ、見下され、足蹴にされている集団はいない。中年男というのはやることなすこと、ともかく何かしら滑稽で笑える、そういう存在らしい。
中年男はつまらない退屈な生き物だ。あるいは中年男はどうしようもない悪者だ。中年男はさっさと早死にしようとしているか、むやみに若さにしがみつこうとしている。
恋する中年男など、バカバカしさの極みだ。スポーツカーに乗りたがるのは、自分の存在について自信がないから。中年男がジーンズを履くのは、いつまでもオトナになりたくないから。ガタのきたレコードプレーヤーで、自分が若い頃のヒット曲をかけ続けるのは、切ないノスタルジア。
にもかかわらず人間は中年期になると、弱くなるし、もろくなる。中年ほど弱くてもろい者はない。これまでの人生経験を頼みにする一方で、新しい挑戦に前向きに取り組まなくてはと思っている。そして、両方の衝動を慎重にバランスしなくてはならないのだ。
色々な経験をしてその分だけ賢くなってはいるが、新しい冒険を望んでいる。当然ながら、たくさんの重圧や喪失、悲しみをくぐり抜けては、立ち直ってきた。
今のこの時代の中年男たちは、戦争のように強力な社会共通の同時代体験に振り回されることもなく、実に自己中心的でわがままな世代に生まれ育った。「団塊の世代」。英語でいうと「ベビーブームの世代」。
これほどご大層な呼び名もそうそうないわけだが、ともかくもこの世代の男たちは、社会の変化と一緒になって10代から20代そして30代前半と年をとり、そして社会変化の恩恵をこれでもかと受けてきた。社会の規律・規範が緩んでかつてないほど自由になり、文化の大革命がおこり、家の値段がぐんと安くなったのだ。
なんでもできた。なんでも手に入った。だからこそ、その「なんでも」(それはつまり、人生がもたらしてくれるはずのあらゆる喜びのことだが)が指の間からこぼれ落ち始めたとたん、私たちは困惑し、混乱し始めてしまったのだ。
中年とは何か。どう定義するか。何歳から何歳までという、年齢の枠にこだわるのはやめよう。1960年代~70年代の激しい社会変化に影響を受けて育った人なら誰でも、今は中年だ。実際に何歳かということではない。考え方・感じ方の違いの問題だ。
今の世界は当時とはまるで違う場所だ。だから、あなたは世界に違和感を感じている。疎外感を感じているのだ。あなたとは全く違う価値観で生きている新世代が台頭しつつある。あなたにはよく理解できない。あなたは中年なのだ。
中年男は自分が若かったころに謳歌した社会の価値観と、今の社会秩序が求める行動規範の間を、上手に渡り歩かなくてはならない。
若いころの価値観と今の規範は両立できるのか、それとも若いころから大事にしてきた信念をいくつか修正、もしくは完全に放棄しなくてはならないのか。中年男は判断しなくてはならない。
見た目が全てで、たわいもないことばかりを重視する今の世の中にあって、どうやったら年齢相応な振る舞いができるのか、中年男は学ばなくてはならない。これは言うほど簡単なことではない。自分の父親たちの振る舞いを手本にするわけにはいかない。今の自分は当時の父親と、根本的に違ってしまっているからだ。
ファイナンシャル・タイムの記事です。
お休みなさい・・・・。
午前中雀の涙ほどの雨が・・・。もっと降って欲しかった。
お墓参りに行ったり、病院へ支払いと洗濯物を届けるなど、オジサンは大忙し。
社会を構成する人口グループのなかで、中年男ほどとことんバカにされ、見下され、足蹴にされている集団はいない。中年男というのはやることなすこと、ともかく何かしら滑稽で笑える、そういう存在らしい。
中年男はつまらない退屈な生き物だ。あるいは中年男はどうしようもない悪者だ。中年男はさっさと早死にしようとしているか、むやみに若さにしがみつこうとしている。
恋する中年男など、バカバカしさの極みだ。スポーツカーに乗りたがるのは、自分の存在について自信がないから。中年男がジーンズを履くのは、いつまでもオトナになりたくないから。ガタのきたレコードプレーヤーで、自分が若い頃のヒット曲をかけ続けるのは、切ないノスタルジア。
にもかかわらず人間は中年期になると、弱くなるし、もろくなる。中年ほど弱くてもろい者はない。これまでの人生経験を頼みにする一方で、新しい挑戦に前向きに取り組まなくてはと思っている。そして、両方の衝動を慎重にバランスしなくてはならないのだ。
色々な経験をしてその分だけ賢くなってはいるが、新しい冒険を望んでいる。当然ながら、たくさんの重圧や喪失、悲しみをくぐり抜けては、立ち直ってきた。
今のこの時代の中年男たちは、戦争のように強力な社会共通の同時代体験に振り回されることもなく、実に自己中心的でわがままな世代に生まれ育った。「団塊の世代」。英語でいうと「ベビーブームの世代」。
これほどご大層な呼び名もそうそうないわけだが、ともかくもこの世代の男たちは、社会の変化と一緒になって10代から20代そして30代前半と年をとり、そして社会変化の恩恵をこれでもかと受けてきた。社会の規律・規範が緩んでかつてないほど自由になり、文化の大革命がおこり、家の値段がぐんと安くなったのだ。
なんでもできた。なんでも手に入った。だからこそ、その「なんでも」(それはつまり、人生がもたらしてくれるはずのあらゆる喜びのことだが)が指の間からこぼれ落ち始めたとたん、私たちは困惑し、混乱し始めてしまったのだ。
中年とは何か。どう定義するか。何歳から何歳までという、年齢の枠にこだわるのはやめよう。1960年代~70年代の激しい社会変化に影響を受けて育った人なら誰でも、今は中年だ。実際に何歳かということではない。考え方・感じ方の違いの問題だ。
今の世界は当時とはまるで違う場所だ。だから、あなたは世界に違和感を感じている。疎外感を感じているのだ。あなたとは全く違う価値観で生きている新世代が台頭しつつある。あなたにはよく理解できない。あなたは中年なのだ。
中年男は自分が若かったころに謳歌した社会の価値観と、今の社会秩序が求める行動規範の間を、上手に渡り歩かなくてはならない。
若いころの価値観と今の規範は両立できるのか、それとも若いころから大事にしてきた信念をいくつか修正、もしくは完全に放棄しなくてはならないのか。中年男は判断しなくてはならない。
見た目が全てで、たわいもないことばかりを重視する今の世の中にあって、どうやったら年齢相応な振る舞いができるのか、中年男は学ばなくてはならない。これは言うほど簡単なことではない。自分の父親たちの振る舞いを手本にするわけにはいかない。今の自分は当時の父親と、根本的に違ってしまっているからだ。
ファイナンシャル・タイムの記事です。
お休みなさい・・・・。