主祭神
拝殿前の御神木
こちらは、阿曇比羅夫(あずみ の ひらふ)をお祀りしていました。
手を合わせてきました。
飛鳥時代におきた白村江の戦いは、特攻隊のような戦いで、行けば命は無い。しかし、斉明と天智天皇の命令には背けなかった。人が人に命ずる戦いとは、命ずる方は命が守られている。。
ここに、戦いの愚かさ、無念さを感じます。阿曇比羅夫は戦死して、御祭神となり祀られています。しかし、無念だったのではないかとも思います。また、一般の民も何万人も犠牲になります。一般人は、骸さえなく、残された女や子供、老いた父母は帰らぬ息子や夫の御魂の昇天を祈り、川辺に石を積み上げることで、家族を弔った話が役小角の本にでてきます。
戦いとはそういうものです。。。
愚かです。
阿曇比羅夫の像
手水が綺麗ですね。
こちらは日光泉太郎の像です。犀に乗っています。
太古の民話が紹介されています。三輪山の伝承ににています。また、龍宮の乙姫豊玉姫の話にも似ています。ウィキペディアには色々逸話がありましたが、その中からふたつ紹介します。
- 西塩田村にある鉄城山の山頂に寺があり、そこへ毎晩のように通う一人の女がいた。
- 彼女がどこからやって来たのか分からず、不思議に思った寺の住職は、彼女の衣服に糸を付けた針を刺しておいた。翌朝、住職が糸をたどって行き着いた先は、川の上流にある鞍淵の洞窟であった。
- 中をのぞくと、赤子を産もうと苦しむ大蛇の姿があった。住職は驚いて逃げ出し、出産を終えた大蛇も正体が知られたことを恥じて死んでしまう。
- 赤子は小泉村の老婆に拾われ、小太郎という名前で育てられた。身長は小さいものの、たくましい体に成長した小太郎であったが、食べては遊んでばかりで仕事をしたことがない。
- 14、5歳になった頃、老婆から仕事を手伝うよう促された小太郎は、小泉山へ薪を取りに出かけることにした。
- 夕方、小太郎は萩の束を2つほど持ち帰った。これは山じゅうの萩を束ねたものだから、使うときは1本ずつ抜き取るようにして、決して結びを解いてはいけない、と小太郎は老婆に伝えたが、たった1日でそのようなことができるはずがないと思った老婆は結びを解いてしまう。すると、束がたちまち膨れあがり、家も老婆も押しつぶしてしまった。
- もうひとつはこちら。↓
日光泉太郎の説明です。2つのうち後者の説明が近いです。
日光泉小太郎から派生したのでしょう。ものぐさ太郎の逸話もありました。立身出世話ですね。
名前が俳優の小泉光太郎さんみたい!?
神社参拝中から大空を悠々と鳥がずっと旋回していました。
神社のお祭りで、アンデスの歌と、独特な楽器を演奏していました。
まるで空を旋回する鳥は音楽に合わせて気持ち良さそうに飛ぶコンドルみたいでした。🦅
参拝させていただきありがとうございました。