月読神社から松尾大社にもどり、松尾大社前から木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ、木島坐天照御魂神社)にバスで向かいます。
三柱鳥居について書いた時から、是非訪れてみたい神社のひとつでした。
通称は「木嶋神社(このしまじんじゃ、木島神社)」や「蚕の社(かいこのやしろ、蚕ノ社)」とも呼ばれています。
古くから祈雨の神として信仰された神社であり、境内には珍しい三柱鳥居があることで知らています。
こちらの神社も、日曜日の午前中人が殆どいない中参拝できました。
この地、太秦(うずまさ)は渡来系氏族の秦氏が開拓した地のようですが、弥生時代頃からの遺跡もあるようで、秦氏に縁はあるものの、創建は不明のようです。
日本書紀では、
壱岐・対馬の日神・月神と木嶋社は密接な関係にあるとされています。
長崎の壱岐島に昨年参拝したのも意味があったように感じます。
日神を奉祀する木嶋社が、月読神社と地理的に近いことから、日月の両信仰が、九州から畿内地方へ移植され、両社が創建されたものではないかともされているようです。
誰も居ない境内。曇りで冷たい日でした。
しかし、途中からお日様と蒼空が顔をだします。
3柱鳥居は竹の柵で囲われていました。
人が全く居なくなりましたので、
静まった地で雲間から陽光のさす中、しばらく経を唱えてきました。
陽光で背中が暖かくなりました。
神社で1人でいられるのは有り難いことです。
境内の北西隅には「元糺の池(もとただすのいけ)」と称する神泉があり、現在は涸れていましたが、かつては湧水が豊富であったようです。
伝承では
木嶋社の社叢を「元糺の森」、
神泉を「元糺の池」と称し、
下鴨神社の森が「糺の森」と呼ばれるようになる以前、
元々は木嶋社の社叢が「糺の森」と呼ばれていたようです。
この元糺の池の中には三柱鳥居が建てられて、3方から中心の神座を拝することを可能とする珍しい形式の鳥居です。
中央の神座は、円錐形に小石を積み、中心に御幣を立てて依代としたもので、
⭐️秦氏の聖地である双ケ丘
(秦河勝のお墓があるといわれているそうです)
⭐️松尾山(松尾大社神体山)
⭐️稲荷山(伏見稲荷大社神体山)
の遥拝方位を表したとする説などもあるようです。
松尾山、稲荷山には巨大な磐座があります。
双ケ丘にも磐座があるかな、、?と調べるとやはりあるようですね。
3山もしくは、その山にあります磐座を御神体として、太古から人々は、太秦のこの平地で、三柱を神に見立て、聖なる自然のエネルギーを感じ、感謝と祈りを捧げていたのかもしれませんね。
昔は飢饉、疫病、噴火、様々なことを神のたたりと恐れました。
今は、化学調味料、飽食、延命治療、自然と切り離された中に生き、森羅万象に神々を観ることなどいない人が多いのかもしれません。
しかし、大地のエネルギーが枯渇したら、私たちは誰1人生きることが出来ません。大地が怒れば、人はあっという間に生きられなくなります。
大地に線引きして取り合うのも馬鹿らしいことです。
三本柱。
三位一体とは
真ん中にいるのは内なる神、元神かも。
蚕の社。
蚕は一本の糸をうみ繭を作る天の虫。
人は糸を紡ぎ織ります。
人が一糸から織りなすものは、
心の錦かもしれませんし
自神をお運びする身体の器を守る繭のようなものかもしれません。
大地を、地球を大切にする気持ちを強く持つ。
それは、拠り所である大地を、そこにすまう全員が、美しく織りなした繭のようなもので守るようなイメージすらします。
神社参拝は、天地参拝でもある気がします。
自然回帰のようでもあり、
太古から脈々と繋がる森羅万象にただ感謝を捧げるだけです。
きっと、そういう気がするときは、そうなんだと思います。
祈りは時空を超えますから。
コメントありがとうございました。