自分の嫌なところは、自分で気付いている場合もそうでない場合もあります。
自分で気づいて治そうとしても、なかなか自分では治せない。染み込んでいるから。
ただ、坐をするようになって、穏やかになったと家族からも言われます。
気質を自分で無理矢理治すのではなく、坐が少しずつ気質を直してくれているのかもしれません。
エネルギーがある人ない人いますが、気が病になるのは、清浄な気が不足した状態かもです。
様々な外からの影響や育った過程で積もった塵のような妄想を含めた濁気に身体ががんじがらめに絡まってしまうのかな。
昔は、良いと信じていたことが、間違っていたように今は感じています。坐により自分の濁が見える化されます。
沢山反省しますが時間は戻せません。だから、気づいたその時から直します。
気質が変わると、自分が自分がという我が無意味で、りきまなくなります。
ただ、シンプルに、悲しんでいる人や病の人には寄り添うとか、優しさとか、全部おかげさまだとか、生かされていることが有り難い、そんな感情が自分の中に満ちてくる感じです。それはとても幸せです。
写真は坐している役小角です。座禅🧘ではなくで、坐は椅子にすわってこの形で物は持たずです。
敢えていうなら、手のひらを脛にくっつけて、舌の先を前の歯の後ろにくっつけて目は半眼にしてやります。時間も16分からスタートです。ただ坐る、それだけです。
坐はまだまだ未熟ですが、気質の変化についての実況報告でした☺️。
【写真はお借りしました】