気を落とさないで、頑張ってね。とかいう日本語は、さりげなく使うけれど、気は、落ちたり上がったりするということを気づかせてくれる表現だなぁと思いました。
眉山という地名が目にとまり、それについて少し調べていると、妹が実は最近行っていたようで、またまた驚きです。
徳島にある神社のようですが、九州の雲仙にも眉山があります。まさに、天草四郎率いる島原の乱がおこった地です。
キリシタン拷問の地として知られる雲仙地獄温泉があり、その拷問たるや、熱湯漬けの他、穴吊り、等、筆舌しがたいものだったようで、江戸幕府の弾圧に耐えかねて蜂起したのが島原・天草一揆(島原の乱)です。
舞台となった原城跡には、古戦場を見下ろす丘に、名もなき殉教者たちを悼むマリア観音が立っているようですね。
殉教者たちが亡くなった地には、重い「気」が残っている気がします。その蓄積は、雲仙の地を噴火させたり、大地を揺るがせたりするのかもしれません。
重い「気」を落とすような出来事が、日本だけでなく世界中で起きています。
そうして、重くなって悲しみの果てに散ってしまった気を鎮めるのが、日本に多くの神社が建立された理由かも、など最近は戦争のドキュメンタリーなんかを目にしながら思います。
人が生きてきた歴史は、戦いの歴史。勝てば官軍、真実だけは天のみぞ知る。たたりを鎮める、それは、人が落とした気を鎮めることかもです。
日本の地、悲しみの蓄積の地、そういう重くなった地が癒されて、浄化されて大地が鎮まるといいなと思います。
神社では、もらおうとするのではなく、純粋な祈りを捧げる、純粋な「気をあげる」と、共に浄化につながるのかもです。
ところで、お盆は娘たちを連れて帰省しました。高知と愛媛の県境、母の実家のある天狗高原にいくと、土砂降りの雨のあと大地が浄化されたかのように幻想的な美しさを魅せてくれました。
母が大病により1ヶ月前から入院していました。今回、父を迎えるためお盆で帰省し、おばも初盆のため、津野山にもいきました。恵比寿様の麓にあるおばさんの家で手をあわせてきました。
初盆のおばさん(サンちゃん)をお祀りするため従姉のヒデコさんが関西からきていました。母娘とも太陽に縁ある名前だなぁ、なんて思いました。
私たちが津野山に参拝した次の日に、母は退院しました。奇跡の回復力です。5人兄妹の母は末っ子。最後のひとりになりました。年の離れた兄姉をもつ母には、ずっとずっと長生きしてもらいたいです。
まだまだ、身体には気をつけないとですが、母の笑顔は格別でした。この夏、母の笑顔に会えたことは一番嬉しかったことです。
ワッハッハと笑う。そんなお盆に、あがり盆で帰省した父も楽しかったことでしょう。
高知の実家に母がいる。癒しだなぁと思いました。
そして、母の今回の入院で気が動転して、重くなっていた私たちにかわり、母のために祈ってくださった御方に、心から感謝したいと思いました。
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