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大善人へ身魂磨き

十牛図 第1図「尋牛」不思議なかくれんぼ

十牛図に関しては、色んな方が解説しています。もともと、禅宗の僧により描かれていますので、禅問答のように、答えは自分の中にあり、ひとつではないと思いますし自分が深まれば深まるほど色々と解釈できると思います。


この図を知ったのはかなり前ですが、津野町出身の絶海和尚と結びついたのはつい先日です。だから、頭の整理のため書いてみようと思います。


まずは廓庵の十牛図には弟子の慈遠によって次のような意味の序が付けられているそうです。


どんな人にも仏の真源、仏性が備わっているが、迷いの世界に入り込みもがき苦しんでいるので、そこから逃れる方途をこれまでも示されてはきたが、それらは不十分であったので、新たに廓庵禅師は牧牛によってその方途を示された。(Wikipediaより)


 第1図「尋牛(じんぎゅう)」には、「牛(自分)」を探しはじめた人の様子が描かれています。


 禅では「自分を見つめなさい」とよくいわれるようです。雑多な思考から離れて自分を見つめ直す、自分を知ることにより、自分にとっての幸せとは何か考えるのが先ず第一歩とか。


そして、牛が自分だとすると、今の自分は「居る、ある」限り、無くしようがないはずだけど、そんな自分を探すのです。自分探しの旅がスタートするのです。


大切なものなんて、そんなに多くは無い気がしています。牛は自分の例えのようですから、不思議なかくれんぼですね。外に出て探し始めますが、外を探して見つかるのかなぁとも思いました。自分の中に隠れている自分(牛)を探すのですから。


探し当てるまでの苦労がこれから始まります。苦しみの中に入ると、それまで見えていた景色が色褪せて見えたりします。モノトーンのような世界に迷い込んでしまった時、迷いの自分を辛抱強く待つ自分が牛かもです。


ゆったりと草を食みながら見つけてもらうのを待っている牛。それまでは、「誰かの牛」をみては、カッコいいなぁ、毛並みがいいなぁと思っていたとしても、自分の牛に気付いたら、それには意味もない事に気づきます。


自分の牛、本当は失っていない何かを失ったと心が感じる喪失感が、焦りを生み、不思議なかくれんぼがスタートします。


どんな牛が、隠れているのかな。私の牛は、目が綺麗な牛がいいな。角は丸い方がいいなぁ、とか思いますが、それは欲ですね。笑。

自分の牛に出会うまで不思議なかくれんぼのはじまりが第1図のような気がします。




つづく

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