わたしんちの医学革命と雑多な情報

「医学革命」とは薬からの解放への「個人の気づき」の事である。雑多な情報も「取捨選択」&「鵜呑み厳禁」はセルフサービスにて

悪を憎むな、悪を愛せよという思想から、悪(病気)の正体を知る

2015年08月13日 | 医学と健康

腹水、盆に帰らず

故郷にあてた電報 

腹水・・・・・飲み過ぎ食べすぎのため起こった症状

よって、楽しみにしていたお盆に帰郷ならず・・・・

という意味合い。

 

で、医学と何の関係が?

関係なくともちゃんと関係づけちゃうのがアキョンブログ  って。

 

ところでIn Deep様の 先回の記事は非常に分かりやすかったのですが、その股前の記事をちょっと覗いたら、これも股股の急所を突いた素晴らし記事でしたので、さっそくご案内しました。

あ、急所を実物に突いたらだめよ。覆水盆に返らず。
 あ、そのまえにもうダメだったのね・・・・

 


地球を作り替えるために「悪に感謝する」こと。そして、チャップリンの『独裁者』のスピーチでの理想的な人間像を真剣に想像してみること

 

悪に感謝できますか、あなた?

オマエ出来るのか?

え!・・・・

そう、そう簡単にはできません。いや、きっと猛烈に反発するでしょう、ボクの場合は。

でも、真理には如何なる人間猿も敵いません。
それが三猿主義を貫き通せるわけがないからです。まあ、大自然の摂理というか、そういう風に創られた神さまを恨むしかないですね。

って、神さま恨んでみても詮無しなんだが・・

ところで、精神的な見地から見た(繰り返すか)悪と、身体的にみた悪もあるという事でしょうかね。

医学は思想である   (詠み人知らず)

なんてね。

医学は死相であるじゃないですよ。思想。 

つまり病を悪とみる思想ね。

病気は悪である。 悪は撲滅しなければいけない。
しかも、ボクだけは善である(という都合のよい思想なんですねえ~~)

つまり、善いっぱいのボクに病という悪が取り憑いてきたわけ。

だから、酔っ払え、じゃない、追っ払え!シッシ!
と。

ところで、当痴呆の大きな病院に行くと、玄関前に飾ってある銅像と何チャラ書いてある銅板か石に刻まれた文句。

誰かなこの人?

まあ、あまり気にする人はいないようですが・・・

このひと、ヒポクラテスっていうらしく、医学の教祖様的存在なのかな?
そこで、わが霊感を強めて、密かに問答をしてみた・・・・・ら

もしもし、ヒポクラテスさん、居心地良いでしょうねえ~~子孫の弟子達から崇め奉られて・・・

「と、トンデモナイ! ワシの教えを反故にしてしおって、こいつらワシの弟子でも何でもないわい」

と非常にお怒りになっている様子。

え、だってあなた「医聖」と呼ばれているんでしょ? いい気持ちでしょうがねえ~~

「bakaいってんじゃねえ!ここに立つ銅像は、ガレノスなんじゃ、奴がワシの言うことを聞かないで、病と闘うなんて宣ってからじゃ、今の医学が栄えたのは。今の医学はワシの医学でも何でもないわい!」

え、ガレノス? そんなひと知らんですけど・・・

「そりゃそうだろう、キミの無知ぶりも顔に染み出ているぞ、皺とともにな・・。ガレノスとはローマ時代にさかのぼるからじゃ。」

ローマ? ローマ風呂? あの映画のように、日本の風呂をマネしたという・・・?

「バッカモン、もういい。シッシ」

とお怒りのご様子だし、追い払われてしまったので松本先生にお聞きすることに↓。

 

え! 松本先生もアチラにもうお帰りに!  お盆だからちょっとくらいイイデショ♪

(いくらお盆でも長すぎるぞ、与太話が)

 

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

26P
   第二章、 医学思想の逆転

 話をヨーロッバに戻し、ヒポクラテスの死後五百年ほど経った西暦一三〇年のこと。
古代ヒポクラテス医学の発祥の地コス島の対岸メシア(小アジア)のペルガモンに一人のギリシャ人医師が生まれた。


彼の名はガレノス(英読みガレン)。
ギリシャ医学のヒポクラテスと並び知られるローマ医学の巨星である。

 彼はギリシャ医学を学び、三十五才でローマ皇帝マルクス・アウレリウスに招かれ、王子コンモーヅスの侍医として最高の地位を得た。


折しも〝アントニアヌスの疫病″(一六五年)と後に呼ばれた大疫病がローマを襲い、人々がバタバタと倒れ、ローマでは一日に二千人の人が死んだと言う。


この死人の山を前にギリシャ医学(ヘレニズム医学)はなす術を知らず、ガレノス自身も翌年にはローマを離れて難を逃れざるを得なかった。
まさに医学の敗北である。
無力感に打ち拉がれた彼は避難地でこう自問した。

 「この善悪無差別の暴威に対して、ヒポクラテスの教えは役に立たず、人間の〝自然回復力″は余りにも無力だ。
病は〝悪″であり、人類の〝敵″だ。
この〝人類の敵″と戦うことが医学の使命ではないか……」と。

 こうして彼の疾病観は一変し、ヒポクラテス医学とは正反対に、病と戦うことを使命とするガレノス医学(ガレニズム)が誕生。
爾後二千年にわたって酉洋医学を支配し、今日(現代医学)に至るのだ。


まさに医学思想の逆転であり、ガレノス医学によって、ヒポクラテス医学は終焉を告げた。



 奇しくも丁度その頃、東洋の中国では腸チフスが大流行、死人の山が築かれる中で張仲景(一四〇年)が現われて『傷寒論』と「金要略』を著し、「症」によって方剤する漢方医学を確立したことは前に述べたが、この段階で中国医学も病を悪とする疾病観に転換したのである。

 西も東も、同じ時期(二世紀)に、疫病が大流行し、その惨禍によって疾病観が逆転したことは不気味な一致と言えよう。


 だが、本当にヒポクラテス医学は間違っていたのだのだろうか。


この疫病の背景には、当時のローマ人の生活全般にわたって何か大きな反自然的要因が潜んでいたのではないか。
その原因を突き止めて、禍根を取り除くべく努力をすることがヒポクラテスの教えではないのか。


実は、当時のローマ人たちの食生活は贅沢を極め、心身ともに劣弱化していたのである。

 だが王宮の反自然生活に慣れ切っていたガレノスは、このことに少しも気づかず、それが当たり前だと思った。


 彼の間違いはここにあった。
出発点でボタンをかけ違えたのだ。
だから何処まで行っても辻褄が合う筈がない。


事実、百年後に古代ローマを襲った。
キプリアヌスの疫病″(二五〇年)に際してガレノス医学は無力を露呈した。

 そして三百年後に大流行した史上最初のペスト禍と言われる〝エスティニアヌスの疫病″(五四二年)において、栄耀栄華を極めたビザンチンは壊滅的な打撃を受け、東ローマ帝国は住民の半数以上もの人命を失って、これが口ーマ帝国崩壊の端緒となった。


この時もガレノス医学は全く役に立たなかった。

 天網恢恢、疎にして漏らさず、鉄槌は下ったのである。



27P
   他人委せの医療観

 話は前後するが、疾病観が逆転すれば、当然、医療観もまた逆転する。


即ち″病気と戦い、それを征圧する″という攻撃的医療観への転換である。


しかし、このガレノス医学の考え方は、裏を返せば、人間の反自然的生活を正すことなく、逆に人智(医学)によって人間の思うがままに、自然を征服しようとする思い上がった人間中心の思想に外ならない。


 だが、よく考えてみれば、人間は必ず死ぬ。
これが真理である。


従って、もし死に到る過程を″病気″と考えるならば、人間は永遠に病から解放されることはない。


 では、医学とは何か?

 ヒポクラテスは、病は〝死に到る悪〟ではなく、〝天寿を全うするための自然の浄化作用、つまり善である″と喝破した。



そして浄化作用を滞りなく速やかに終わらせる手立てや浄化を必要としない生活条件(正しい生活)を探求し、それを教え導くことーーつまり〝健康を保持し、天寿を全うする道″を医学の使命とした。




 一方、ガレノスは、これと正反対に、病は〝死に到る悪化作用″と考え、死をもたらす悪(病気)と戦うことを医学の使命と考えた。
即ち〝死との対決″である。


 だが、それは所詮空しい足掻きに過ぎない。
死の影は常に人間に付き纏い、遅かれ早かれ死は確実にやって来るから医学は常に〝敗北の学問″となる。


事実、ガレノスの願いも空しく、病気は常に人智を越え、医学の努力を嘲笑うかのように、次々と新しい悪疫が出現。
その都度、医学は挫折感と無力感に打ち拉がれた。



 またガレノスの医学観に立つと、ヒポくラテスが確信した〝人間の自然回復力(生命力)″は、外敵から身を守るための生体防衛力として位置づけられる。


そしてこの相対化された非力な生体防衛力が外敵(病原)と戦っている姿が病気であり、遂に力尽きてギブアップした時が死である。


従って最後は必ず病に負けて死ぬという哀れな疾病観が導かれるから、病気を恐れて敵対視するわけだ。



病気を〝悪″と考える限り、当然の帰結である。


 そこで、病気に対して、無力な自分の代わって闘ってくれる強力な味方が医療ということになる。


つまり、病気(敵)と戦うのは医療であって、人間は医療費を払って、この戦いを一喜一憂しながら見守る観客に過ぎない。



 言い換えれば、病と戦う戦士(主体)は医療(医師)であり、患者は生命を医師に預けるだけという医師委せの医療観である。



そこでは、人間の主体性は完全に無視され、肉体だけを対象とする人間不在の医療が罷り通る。



  その結果、謂わゆる〝矛盾には矛盾を″という有名なガレノスの言葉が示すように〝毒を以て毒を制する″という危険な医療が正当化され、熱には解熱剤、痛みには鎮痛剤、さらにメス、放射線、抗ガン剤と、より強力な武器を求めてエスカレートするわけだ。


このような攻撃的医療を逆症療法と呼ぶ。



 現代医療はアロパシー医学の最高峰であり、史上最強の攻撃的手段を誇る医療であることは言うまでもあるまい。


 ところが、このような攻撃的医療をヒポクラテスは厳に戒め、弟子達に対してこの掟てを守ることをアスクレピオスの神殿に誓わせた。


ヒポクラテス医学においては、再三述べたように「病は、自然の自浄作用」であり、「自然の癒し」であるから、この理を悟り、自らの自覚で生活を正すことが、「病から解放される唯一の道」である。


つまり、真の医学の主体は人間自身であり、医薬などに頼ることは、自然の癒しを妨げる有害無益な愚かな行為に外ならない。
 

 〝医療(人智)に頼るか、自然(神智)を信じるか″。

 


 この何れの道を選ぶか。


あなたの健康と運命は、この選択に掛っていると言えよう。

 

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

 

ということで、ヒポクラテスさんに再び聞いてみました。

「うん、これこそワシの答じゃ、満足して居るぞ。だが・・・」

ん?だが・・・

「ここ(病院前)ひじょ~~に居心地が悪い。オマエ、ワシをおぶってゆけ」

えええ~~~銅像をですかあ~~
あ・・・・・ワタシ、霊感が急に薄れてきたみたい・・・・
今のはよく聞こえなかった・・・ような・・・

 

まあ、誰か後世になるとガレノスの像と入れ替わっているでしょ、きっと・・・・

いや・・・

気づかれたときが終焉か・・・・・

大病院がちいさな診療所くらいになってたりして・・・・

あれ! あそこに立っている象は・・・・

 

写真を編集 !!

ところで、腹水盆に帰らずと同関係あるんだ?

という疑問ですが・・・

 

あ、ヒポクラテスさんに聞いてきますね・・

 

あ! お盆休みで里へ帰ったそうです~~~(残念

 

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