医療に検査は必要不可欠だ
ただし、それが有効な検査なのかどうか?
それが問題だ!(シュークスビア)
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30年前のアメリカの医療事情?
そして、ニッポンの場合は?
何だか、日本の今の医療事情をそのまま未来透視したかのような本でした。
もっともボクも読んだのは相当むかしだったし、今頃になってUPしているってのも可笑しな奴だ(笑い
女性編・医者が患者をだますとき
より、最後っ屁です。
ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー
検査漬け医療はなぜ危険なのか
検査の乱発は患者の医療費の負担増を招きはするが、健康にはそれほど害を及ぼさないこともある。しかし、医者が臨床的判断を怠って検査の指示を出すだけですまそうとすると、患者に害を及ぼす場合がよくある。
「検査漬け医療」といっても、もしすべての検査が科学的に有効で、検査結果が正確であるなら、過剰検査はそれほど問題ではない。
しかし、実際にはそうでないことがあまりにも多いのだ。医者が臨床的判断を怠って検査に依存しすぎると、不正確な検査結果をもとに診断することになる。こ れが危険なのである。治療されないままになっている病気があるかもしれない一方で、不要な投薬や手術の犠牲になる可能性もあるからだ。
検査漬け医療が日常化すると、医者は検査に依存するあまり思考停止状態に陥る。そしてついに、自分の仕事は検査の指示を出したときに完了したと思い、検査結果にすら留意しなくなる。
そんなことは信じられないと思う人もいるかもしれない。
では、検査室が血清検査で梅毒の陽性反応を数百件も報告してきた場合でも、医者が再検査を求めたのはそのうち三、四件しかなかったという事実はどう説明すればいいのか。
大多数の医者は検査報告書に目を通していないか、患者に対する医療者としての責任と保健所に検査結果を報告する法的義務を果たすために所定の手続きをなぞっているだけである。
わたしの見るところでは、医者の診断能力と検査への依存度はほぼ反比例の関係にある。現代の医者の多くは患者の病歴をおおざっぱに問診し、診察をさらに おおざっぱにおこない、検査の指示を乱発する。これは悲劇である。もっとも信頼できる診断方法が無視されているからだ。
わたしとわたしの尊敬するすべての医者の経験では、全患者の七五パーセントは病歴だけで、一五パーセントは実際に体を調べることで病気の有無を診断できる。
検査で診断できるのは全体の五パーセントにすぎない。
残りの五パーセントはどの方法を用いても診断できない病気である。
以上の割合を考慮すれば、医者は伝統的な診断方法に最大の信頼を寄せるべきだ。
では、なぜそうしないのか? その理由は明らかだろう。
病歴を細かく問診し、実際に体を調べる診察を徹底しておこなうことは、もっとも時間がかかり、もっとも診療報酬の少ない診断方法だからである。要するに、そんなことをしていては割に合わないのだ。
自分の時間を節約し最大の利益を得ようとする医者は、ハイテク検査機器を数多く設置し、低賃金で一連の臨床検査をおこなってくれる女性の臨床検査技師を 雇う。たとえば、脳波計を設置している@@0なっているが、医者はこの機械をフル稼動させて脳波検査をおこなっている。
全米の開業医が年間八〇億回も検査の指示を出しているのは不思議ではない。それだけで、検査料としてなんと総額一五〇億ドルもの診療報酬が見込めるのだ。
ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー
この本をよく読めば分かると思いますが、決して医者批判では無いと言うこと。
本質は医者も患者も何かに欺されてきたということですね。
その何かとは
科学的、常に進歩し続ける現代医学と言う巨大な医学にです。
だから、著者は本当はこう題名を付けるべきだったかも
「医学が医者をだますとき、医者は患者をだます」
世界中が未だにそれに気がつかない医学のマトリックス
しかし、日本は医療の先進国だと言われているので
おそらく日本から開始されるでしょう。
医学の革命
その革命は単なる「気づき」でしかないでしょう。
そう、それが無駄なのか有用なのか
単なるあなたの取捨選択眼でしかないのです。
それは如何なる権威者にすがっても無駄ということと、
如何なる責任も他人にあらず、すべてはあなたが信じて行ったことなのです。
だから、いま「欺された」とか「知らなかった」という言い訳は通用しなくなった。
そういう時期なのです。
アダルトばかり見ているアナタ(あ、オレか!)
少しは、勉強しましょうよ。
himaari倶楽部の医学の革命講座 進行中(かなり休み休みですけど・・)
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