昨日からお送りしている
オールスター福井の進学先での活躍について・・・本日は第2弾
第4期生~第6期生をお送り致します。(長くなります。)
僕が、オールスター福井の関係者となったのが、この第4期生の頃です。
死ぬまでに、福井県の高校が優勝旗を持って帰ってくれるには?
と考えた時・・・中学生の硬式クラブチームの存在を知り、
「そうだ応援しよう」と決めたのです。
色々なチームに硬式ボールを供給したり、福井県営球場などで試合をさせてあげたり・・・と
色々でしゃばりましたが、そんな時知り合ったのが
現、敦賀気比高校野球部監督、当時オールスター福井監督の東哲平君だったのです。
彼とは、将来を色々と語り合い、同じ思いで居る事が判り
それから、オールスター福井のお手伝いをするようになったのです。
そして、第4期~第6期の時は、なんと!
「甲子園を経験させよう」・・・と甲子園球場を借り切って、
試合をさせた事は、今でも良い思い出です。
さて、第4期生(11名)を語るには、やはり
山田修義君を欠かせないでしょう・・・
2年生の時にセンバツ出場・・・第3期の林君、錦織君、中嶋君、丸木君
同期では、室田君も居て、18名中、6人がオールスター福井出身・・・これは世間が騒いだものでした。
1回戦で天理高校に負けましたが
3年生の夏には、今度は、同期の室田君、渡辺君、開道君
第5期生の錦織弟君、第6期中尾君と共に甲子園出場・・・この時もオールスター福井出身者が18名中6名でした。
この時は、1回戦帝京に1-5で敗退しましたが、不運があったのです・・・
甲子園の前日練習、キャッチャーの渡辺君・・・(オールスター福井時代からの女房キャッチャーでした)
が指骨折・・・急遽2年生の久保君がキャッチャーに
しかし、山田君の生命線のスライダーを久保君がうまく捕球出来ないと言う事で
山田君は、スライダーを投げれなかったのです。
しかし、福井県の奪三振の記録で
「北陸のドクターK」「内海2世」と騒がれ
ドラフト会議でオリックスバファローズから第3巡目指名を受けてプロ野球の世界に・・・
現在も1軍で活躍しています。
第4期では、山田君に続き
室田兄君が2回
渡辺君が1回
開道君が1回
が甲子園の土を踏んでいます。
又、桂木君や宮口君も福井商業で主力として活躍していました。
第5期生(10名)では、
錦織弟君が敦賀気比で2回
高原君が敦賀気比主戦として1回甲子園に出場
高原君は、1回戦優勝候補天理打線と接戦の末7-4で勝利投手
この時は、ベスト8に進出しました。
丁度このセンバツの前にオールスター福井総監督の小林繁さんが
亡くなり、
「小林チルドレンが甲子園に」
と新聞やメディアに大々的に報じられたこともありました。
(3人がオールスター福井出身者です。)
他にも
小木君、木村君が福井工大福井の主力として
出口君が、福井商業で夏の甲子園に1回出場しています。
木村君は、進学した福井工業大学で相当ブレークした覚えがあります。
第6期生(5名)では
現在、中尾優斗君が1年生の夏1回、2年生の春1回
甲子園の土を踏むだけでなく、ベスト8入りした原動力として
現、オリックスの吉田君とクリーナップを打ちました。
谷口君は、メンバーには入れなったものの、記録員と
して甲子園ベンチ入りしました。
中島君は、福井商業で、勝木君は北陸高校で主力として頑張っていました。
このように4期~6期生も大活躍してくれた世代でした。
明日は、第7期~第9期生
いよいよ甲子園2打席連続本塁打男「御簗 翔」の登場です。
ふ~長文疲れました・・・