オールスター福井ヤングの室内練習場には
故小林繁名誉総監督の写真が飾られてる。
練習が終わると、室内練習場に「礼」指導者に「礼」保護者様に「礼」
そして小林さんの遺影に「礼」をして解散となるが、
ある保護者さんから
「小林さんの説明をしてあげてくれないですか?多分子供たち何の礼か
判ってないと思いますよ」と言われ
日曜日に説明をした。
部員達に「小林繁さんを知ってるか?」と聞くと数名が手を挙げるも
やはり知らない選手が多い。
「江川卓は知ってるか?」これもパラパラ
そこで保護者の方に「小林さん知ってますよね?」と聞くと
「えっ」と思うほど知らない方が多かった。
ご存知の方はご存知だろうから長くは書かないが
知らない方は
しかし、この中で間違いが書かれている。
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この頃からV9時代のチームメイトの紹介で少年野球チーム「オールスター福井」の指導を頼まれ、手を貸すことになった。
小林は指導はしても、謝礼のようなものは一切受け取らず、チーム代表がいくらなんでも申し訳ないと思い10万円を包んだことがあったが、小林は「受け取ったらずっと教えなきゃならなくなる」といって笑い、受け取らなかった。
週5日の練習に毎日顔を出し、自宅から離れた練習場に歩いてやってきて、自らノックバットを握り、投手よりも野手の指導に熱心であった。
指導だけでなく試合にも同行し、チームのバスに一緒に乗って、片道8時間の遠征に出かけたこともあった。
資金が潤沢なわけではないため、遠征すると泊るのはいわゆる少年の家みたいな施設であり、三段ベッドに寝たり、広い部屋に雑魚寝のような状態でも平気であった。小林は、チームの少年たちを、かならず苗字ではなく名前で呼び、礼儀にやかましく、技術指導でも手を抜くことはなかった。「おはよう、ありがとうをいわない子はウチに来るな」というのが口癖であった[
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何でこんな事知ってるの?と思うほど驚いたが
確かに、現代表が爺に「小林さんに渡してくれ」と言って
練習場で手渡そうとしたら、
「いいよいいよ、子供達の為に何か買ってやってくれ」と一言。
そして、歩き去ったが、途中振り返り
「代表に気持ちで十分だよ。有難う!って伝えてくれよ」
これが真相だ。
そして、必ず苗字で呼ぶでは無く、名前=あだ名で呼んでいた。
「それはスキンシップだよ」って言われていた真相だ。
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ほぼ文句のつけようのない指導者であったが、代表や監督と飲む時は大体朝までになり、飲んでも次の日の練習には出てくるため、代表や監督は付き合うのが相当きつかった[。女性のいるような店には行かず、人の多い賑やかな店も嫌いで、こぢんまりした居酒屋で飲むのが好きであり、巨人時代の思い出話を肴にごく庶民的な値段の焼酎を飲んでいた。
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これはマジ話だ・・・ここの代表が現横山代表で監督が現山本コーチだ(笑)
焼酎は、一番安い「白霧島」でおかずは「タバコ」
だから爺は小林さんを真似して今もおかずは「タバコ」なんですよ(笑)
本当に素晴しい方だった。
今もオールスター福井を天国から見守ってくれてるだろう。
「情熱のサイドスロー」一度購入して読んで下さい。
爺も出演してますから。