Don’t Dilly Dally

…とことことことこ

夏に観たくなる映画 #01

2024-08-17 15:44:30 | 雑記

夏になると観たくなる映画というものが私にもいくつかあります。今日は仕事が休みなので、部屋でのんびりと古い映画を観て過ごすことにしました。

今日の気分は、1985年公開の『刑事ジョン・ブック 目撃者』。

簡単に内容を説明すると、ある殺人事件を目撃したのが母親と親戚を訪ねる途中のアーミッシュの少年でした。その親子を守ろうとする刑事ジョン・ブックは、その特殊な生活様式に従って暮らすアーミッシュの人々と触れ合うことになります。

始まりは、フィラデルフィアの街でサスペンスタッチに描かれているのですが、アーミッシュの村に移動してからが夏本番。風景も美しく、村人みんなで納屋を建てるシーンは夏そのもの。コンポートを作るケリー・マクギリス演ずるレイチェルも美しいです。

主演のハリソン・フォードとケリー・マクギリスの若いこと若いこと。

 

少年サミュエルが殺人事件を目撃するのが、ペンシルバニア州のフィラデルフィアにある駅のトイレ。私もアメリカに滞在していた際に、この駅を利用したことが何回かあります。

こちらがメインコンコース。映画の中でサミュエルがこの像を見上げるシーンがあり、初めて訪れたときは私も思わず同じように見上げてしまいました。(笑)

そしてトイレに行った息子のサミュエルをレイチェルが待っているベンチがあったのがこちら。今はベンチが撤去されています。

1933年に利用が開始されたという歴史ある30th Street Station。スーベニアショップも充実しており、観光に立ち寄るだけでも楽しいと思います。

それに常に警備してくれているので安心です。

実際に私が電車の時間まで一人でベンチに座って待っていたときのこと。怪しげな人が、すぐ前のベンチに座ったので少し警戒していたら、すぐにポリスがやってきて「Hey!」と迫力のある一言でその人を追い払ってくれました。ワーオ。

 

最後にアーミッシュについて。

文明社会から離れ、17世紀の生活を送るアーミッシュはペンシルバニア州や中西部、一部カナダに多いらしく、ペンシルバニア州ではランカスター群に居住しています。電気や通信機器を使わず、移民当時の生活を送るアーミッシュ。自給自足の生活を送っていますが、蜂蜜やチーズなどの販売もしています。

上の画像はフィラデルフィアのセントラルマーケットにあるアーミッシュのショップです。

そしてハーシーで見かけたアーミッシュの女性たち。映画そのものです。

少年が目撃した殺人事件の背景などは刑事ドラマにありがちな内容なのですが、このアーミッシュの生活を観るだけでもこの映画は価値があります。そしてやはり主演のお二人と子役が素晴らしい。

映画を観終わったあと、そろそろ夏も終わるのだなとしばらく窓の外を眺めていました。来年の夏はアメリカに戻る予定。アーミッシュの村を訪ねてみようかな。

 


通勤路と青い空

2024-08-15 08:56:40 | 滞在記(6/2024~)

私は早朝に部屋を出て仕事に行きます。

職場までは歩いて15分くらいでしょうか。ホテルの調理場に勤務しているので今はお盆休みで宿泊客が多くとても忙しいのですが、朝の清々しい避暑地の空気が心と身体を元気にしてくれます。 

この道を横切り、けもの道を抜けると別荘地に出ます。

いつもウォーキングをしているご夫婦や犬の散歩をしている人たちと挨拶を交わしながら、テクテクテクテク。

道端や別荘地の庭に植えられた四季折々の花々を眺めるのも通勤路を歩く楽しみのひとつです。こちらはとある別荘?の朝顔たち。

中抜け勤務なのでお昼前に一度部屋に戻り、午後また出勤するのですが、朝以外は職場の方が車で送り迎えしてくださいます。だから私が歩くのは朝のこの時間だけ。でも避暑地とはいえ昼間は暑いし、夜は真っ暗なのでとても助かります。

自然が生活から遠くないという恵まれた環境。鳥や虫の鳴き声を聞きながら生き物の気配に囲まれて歩いていると、心身ともに癒されます。そして日常のルーティンの始まり。この繰り返し。

海と山に囲まれた贅沢な場所。別荘が多いのも納得です。

見事な眺め。

私が滞在している古いホテルからの眺めです。来たばかりの頃は毎日この景色を写真に収めていました。そのうち四季折々のこの景色をまとめてみたいです。

そして昼過ぎに職場の駐車場から空を見上げてみると、

モクモクと夏の雲。真ん中の雲が私にはシロクマに見えます。(笑)

そんなことを思っていたら、ふと『若草物語』の著者ルイーザ・メイ・オルコットの名言を思い出しました。

There is always light behind the clouds

『雲の向こうはいつも青空』

日本の言葉なら『雲外蒼天』でしょうか。「雲を突き抜けたその先には、青空が広がっている」。つまり、「苦しみを乗り越えれば、すばらしい世界が待っているよ」ということになり、座右の銘でもよく使われているようです。

台風や豪雨の被害に逢われた方々、お見舞いを申し上げます。

 

以前の投稿、『白黒一族』にも書きましたが、朝の通勤路では白黒の猫たちにもよく会います。

この辺りにも台風7号が接近しているとか。大きな被害が出ませんように。

 


その本との出会い

2024-08-12 11:41:45 | 雑記

読書好きだった両親の影響もあり、子供の頃から数多くの本を読んできましたが、「一冊の書物との出会い」とでも言うような、その時々に感銘を受けた本が何冊かあります。

幼少期から思春期にかけて感銘を受けたものが、

・『レ・ミゼラブル』 ビクトル・ユゴー著

小学生の私が読んだものは、『ああ無情』と日本語のタイトルで、主人公のジャンバルジャンが銀の燭台を盗み、神父様に許され改心するまでの短いストーリーのものでした。

・『嵐が丘』 エミリー・ブロンテ著

初めて読んだ恋愛小説かもしれません。嵐が丘の舞台イギリスのヨークシャーの村、ハワース。いつか行ってみたい土地のひとつです。

・『沈黙』 遠藤周作著

教会の日曜学校に通っていたこともあり、遠藤周作氏の著書は続けて何冊も読みました。エッセイである面白おかしく辛辣な狐狸庵シリーズもお気に入りでした。

青年期に感銘を受けたものは、

・『トムソーヤの冒険』 マーク・トウェイン著

・『坊ちゃん』 夏目漱石著

どうやらこの頃から冒険や自由に憧れを抱き始めていたようです。そして、大人になってからはミステリーやエッセイのような軽い書物ばかり読むようになりましたが、地方の山奥や海外などにいるときは手に入る本に限りがあるため、いつもなら読まないような本との出会いがあります。

そのなかでも今も愛読書のひとつになっているのが、

・『土を喰う日々』 水上勉著

お寺で小姓をしていた著者が、自らの体験談を語りながら長野県で自給自足をしながら作る精進料理を紹介しているものです。

この本との出会いは私が長野県に数ヶ月間滞在していたとき。今から30年ほど前のことです。千曲川沿いの大きな村の小さな部落の小さな本屋さんの本棚でした。父の本棚にあった同じ著者の『雁の寺』や『飢餓海峡』を思い出し、懐かしくなり手にしたのがきっかけでした。その時に購入したのは文庫本でしたが、後になってハードカバーで書い直しています。

一人旅をするときも必ず何か一冊持っていきます。荷物になるので自分なりに選び抜いた一冊しか持っていかないのですが、やはりその時の心境を大きく反映しているように思います。

見出し画像は、カンボジアのホテル。海外を旅行するときは、あまりハードスケジュールにせず、ホテルで日常を忘れて寛ぐ時間を必ずつくります。その際に読む本を選ぶのも旅行前の楽しみのひとつ。

こちらはイスタンブールのホテル。

朝に夕に響き渡る祈りの声を聞きながら、読書に耽るという贅沢なひととき。コーランを聞きながらビールを飲む、というのも不謹慎な気がしますが、まあいいでしょう。(笑)

そして現在。

自分の車を持たずに不自由な場所で生活していますが、職場の方が次々と本を貸してくださいます。その方が強く感銘を受けただけのことはあり、とても面白いのですが、この著者の本を自ら手にすることは絶対になかったはずです。そう考えると、やはり今の環境だからこその出会い。おそらくこの著者の本とは一期一会になるでしょう。

一冊の書物との出会い。これからも楽しみです。

 


太陽の恵み、アーティチョーク

2024-08-10 07:46:35 | 雑記

私のお気に入りの野菜のひとつ、アーティチョーク。あのビジュアルもお気に入りの理由のひとつです。

それに加えて名前も面白い。検索してみると、

”英語名アーティチョークは、中世アラビア語のアル・カルチュ(al khurshuuf、「巨大なアザミ」の意)がスペイン語のアルカルチョーフ(alcarchofa)に転化し、さらに北イタリアのアーティチオッコ(articiocco)に変化したものが英語の由来といわれている”

とのこと。

タンパク質やビタミンが豊富で、脂肪やアルコールの代謝を助けてくれるというアーティチョーク。

ヨーロッパでは脂っこい料理や肉料理の付け合わせとして利用されてきたそうで、確かにイタリア料理やイタリアワインによく合います。

最近は日本のスーパーマーケットでも見かけるようになりましたが、残念ながら私の今の行動範囲内では売っていません。もう少し今の職場(ホテルの調理場)に慣れたら出入りしている八百屋さんに聞いてみようかな、と密かに企んでいます。

 

私のお気に入りの食べ方はごくごく一般的なもの。

ガクの部分にスライスしたニンニクをまんべんなく挟んで30分ほど蒸します。

全体の色がほんのり変わり、ガクの部分がほんの少し開いてきたら出来上がり。

そして食べ方は至ってシンプルにガクの根本に付いている身を歯でこそげるようにして食べるというもの。

その際に粉チーズを付けながら食べます。このガクを食べながら剥き進めていくと、最後に花の芯の部分が出てきます。そこが一番美味しい!絶品です。お花を食す、とても贅沢な話です。

そういえば長野県に滞在していた際、地元の方がアカシアの花の天ぷらを揚げてくださったことがあります。あれも美味しかった。一緒にアカシアの花を詰み、揚げているところを隣で眺めて、揚げたてを食べるという贅沢な食卓でした。

 

太陽の光を浴びて、たくましく生きている植物を眺め、そのあふれる生命力を感じ、料理をして太陽のエネルギーを食べる。

植物というのはレジリエンスを教えてくれます。環境に柔軟に対応し、なおかつしっかりとしなやかに立っていることの大切さ。これは人の生き様にも当てはまることではないでしょうか。ふと、ドイツの哲学者マックス・ミュラーの名言を思い出しました。

A flower cannot blossom without sunshine, and man cannot live without love.

『花は太陽なしでは花を咲かせられず、人は愛なしでは生きられない』

 


過去に学ぶ

2024-08-06 10:54:45 | 雑記

第二次世界大戦後、日本は、それまでの歴史から学び、負の遺産を清算して平和的、民主的な国家社会を形成してきました。「平和ボケ」と悪い言い方をされてしまうほどです。

私はアメリカで第二次世界大戦の爪痕を垣間見ることの出来るミュージアムを何箇所か訪れる機会がありました。その中でも記憶に残るミュージアムが2つあります。1つは、Steven F. Udvar-Hazy Center。もう1つは、 National Museum of the Marine Corpsです。

 

National Museum of the Marine Corps (国立海兵隊博物館)は、アメリカ海兵隊の歴史について各種資料や実物が展示されており、とくに太平洋戦争とベトナム戦争のコーナーは当時の激戦を物語っていました。

こちらが戦時中の日本についてのエリアです。

ナチスドイツと同じ括りになっていましたが、これは仕方のないことです。

アメリカ側から見た日本が偏見なく語られていたことに少し安堵しながら見学をしていると、「どこからいらしたんですか?」と制服を着た感じの良い白人ジェントルマンに声をかけられました。おそらく退役軍人の方でしょう。

「JAPAN」と返事をすると、「JAPAN!!」と文字通り彼は目を真ん丸くして驚き、「よく来てくれた。私はとても嬉しい!」と満面の笑みを浮かべました。もう一人べつの館内の方が加わり、私とBFの4人で軽く雑談をしていると、「教えてほしい漢字がある。調べてもわからない。」と言ってこちらの前に連れていかれました。

『規律嚴守』『敬禮勵行』

読み上げると「それはどういう意味?」と訊かれました。そこで英語が堪能なBFが説明をしましたが、あまりにも説明がアバウト過ぎて、きちんと意味が伝わったかは定かでありません。(笑)

最後に握手をしてその場を離れました。この小さな交流は、それまで少し重い気持ちで戦争の傷跡を見ていた私たちの心にささやかな潤いを与えてくれました。

 

そして、もう一つのミュージアムは、Steven F. Udvar-Hazy Center(国立航空宇宙博物館別館)。こちらはスミソニアン博物館群のひとつで、実際に使用された航空機や宇宙船が展示されています。

スペースシャトルよりも日本人の心に語りかけてくるもの、それはやはり原爆を投下したB29『エノラゲイ』でしょう。

終戦後にアメリカが持ち帰った日本の戦闘機も数多く展示されていました。

特攻機『桜花』などを見ると、胸が詰まります。

8月6日の今日という日に、エノラゲイの画像を載せるのが適切かどうかはわかりません。しかし、広島に原爆が投下された今日だからこそ、過去に目を向けて学ばなければいけないのかもしれません。

日本には戦争に関する国立の博物館がありません。敗戦国なので戦争を物語る遺品が少ないということもありますが、戦争を学べる場所がもっとあっても良いのではないかと思います。

戦争と平和。

これは人類の永遠のテーマなのでしょう。