bon voyage!

ボディボーダー・ママののんびりオーストラリアライフ

crystal power

2005-03-30 | Weblog
オーストラリアはオパール、コロンビアはエメラルドの産地。
世界各国で取れる何百種類にも及ぶ天然石は、
古代から魔除けやお守りとして利用されてきた。
アロマテラピー同様、石の種類(成分)によって
効能が違うので、天然石を買う際は自分に
合ったものを選ぶと良いとされている。
例えば、トルコ石は「身体機能の活発化」、
アクアマリンは「積極的な自己表現」
ラピスは「深い平安」、アメジストは
「強い保護作用、精神の安定」などなど…。

その効能について知識がなくても、勘が鋭ければ直感で自分が
必要としている石が分かるといわれている。ボーっと見ていて
特別目に飛び込んできた物を選べばいいのだ。

私は昔から光によって色が変わる石に弱い。
オパールやムーンストーン、4年前から肌身離さず付けている
ネックレスのラブラドライトなど。
極度の飽き性な私にとって、これらの石の「変化」的な要素が
魅力的なのかも知れない。
常に変わり、常に進化する…そういう意味を持つこれらの石は、
ペア・リングには向いていないという話を聞いたことがある。
「永遠」を意味するダイヤとは逆の存在、というわけだ。

どうやら私はこういう「永遠の愛」っぽい石とは相性が悪く、
以前にもパナマでローズクオーツ(宇宙的な愛と優しさの石)に
憧れてネックレスを買ったものの、生まれて初めて皮膚アレルギーになり、
結局数日間しか付けないまま、引き出しの中へ。
悲しすぎる。
結局また元のラブラドライト(自分の運命に気付かせ、自己実現に
導く石)に戻った。恋愛に浮かれるよりも、自分自身のやるべきことをやれ、
ということなのか…。

いずれにせよ、信じるモノは救われる。
だまされたと思って皆さんも
置物、もしくはアクセサリーとして、クリスタルを身の周りに
置いてみてはいかがですか?


天然石の効能についての詳細:
http://homepage2.nifty.com/loon/index.html

プチ英会話☆

2005-03-23 | Weblog
英会話の先生をやってて気付いたこと。
「うらやましい」を 「I envy you」と訳して
言う生徒が多いということ。
これは決して間違えではないし、
意味は全然通じるんだけれど、
「envy」という言葉はちょっと強い気がする。
「うらやましい」…というよりも「嫉妬」に近くて、ちょっと
怖いかも…?!

ではなんと言えばいいのか。
この場合、外人は「You're so lucky!」ということが
多い。「何てラッキーなの!」、「いいなぁ!」みたいな
感じで。

考えてみると、そもそも欧米人ってあまり人を
羨んだりしないかも。
謙虚さが美徳とされている日本と違い、
欧米では自分に自信を持ってそれをアピールしてナンボ。
他人と自分を比べて、自分が負けてると認めるようなことは
滅多に言わない。よほど落ち込んで自信をなくしている時以外は、
常に「自分大好き」モード…かも。
これが度を越すとただの自己中だけど、適度ならば自分の個性と
可能性を最大限に活かせる、前向きな姿勢だと思う。
日本人の謙虚さと欧米人の自信満々さを足して2で割ったのが
ちょうどいいのかも知れない。

私はレッスンの後、その生徒さんが成長したなーと思ったり、
良かったと思った点を、(お世辞ではなく)褒めるのだが、
必ずと言っていいほど、返事は「no no no!! 」の連発だ。
「まだまだダメですよー」となぜか肩を落とす生徒…。
これでは褒めた私も空しい。「私の意見を信じてよ!」って感じになって、
私も必死で「no, you REALLY did a good job!」と説得することに。

本当は嬉しいけど私の前では謙遜してるのか、それとも本当に
自分がダメだと思ってるのか、かなり謎である。もし本当にそう
思ってるなら、あまりに自分に厳し過ぎると思う。

褒め言葉には「no!」ではなく、「thank you!」と、単純に鵜呑みにして、
「私ってエライ☆」と調子に乗っちゃっていいと思う。その方が褒めた方も
気持ちがいいし、本人も絶対学ぶことに対してモチベーションが上がるし、
成長すると思うんですけど…。

やっぱり何でも楽しく、マイペースにやらないと続かない。
そもそも英語って、すごく明るくてポジティブな言語だと思う。
物の言い方にしても、前向きな言い方で言うことが多い。
だから、英語を話してると自然と考え方が前向きになるのである。
日本語で言うと、ちょっとクサイなーっていうことも英語だと自然に言える。
私のコスタリカで会った友達の口癖は、「You can do anything you want!」。
何をするにも、人の意見を求めがちな私に、彼女は都度これを連発していた。
そして気付いたらこの「私は何でもできるんだ!」っていう強烈な考え方は
私の中で少なからず定着していた。でもやっぱり日本語で言うとちょっとアヤしい…。


photo: friends in Byron Bay, Australia

夢舞

2005-03-22 | Weblog
最近、中南米でずっと一緒に旅してたドイツ人のアーニャからメールが来た。
念願だった日本語のタトゥを入れたと言う。コスタリカにいたときから
どの漢字にしようかさんざん悩んでいて、私が何枚にも渡って、
色々な漢字とその意味について書いてあげていたのだ。
当初は、「dreamcatcher」(ネイティブ・アメリカンのお守りの名前、
そして“夢をつかむ”という意味を込めて)がいい、と言っていたのだが、
当然日本語にそんな言葉はないし、作ろうとしても“catch”の
“掴む”“捕らえる”という訳がどう考えてもタトゥ向きではなかった。
代理となるものをあーでもない、こーでもないと色々考えたが、
結局答えは出なかった。

するとこの前メールが来て、“dream dancer”にしたらどうだろうか?
と相談された。「夢舞」。そんな言葉はもちろんないけれど、
でも実際に存在する言葉よりも、抽象的な言葉の方が、イメージとして
見る側の想像力を掻き立てていいのではないか、と思った。
夢を舞う人、舞うように夢を叶える…とでも訳そうか、
とりあえず彼女は踊るのが大好きだし、「舞」っていう字が
綺麗な字だし、夢を舞うという、なんともマイペースで
優雅なイメージが彼女らしかったので、
Go for it!とOKを出した。

そして数週間後、現在カリフォルニアで2週間旅行をしている彼女から
写真付きのメールが来た。そこにはうれしそうに笑うアーニャの、
お腹の左下(腰骨?)に入れた「夢舞」というタトゥがあった。
日本人のタトゥ・アーチストに入れてもらったらしく(ホッ。
線が一本多かったりしたらどうしようかと思った)、
とてもキレイな字でバランス良く描かれていた。

これでアーニャも日本人だ~!と、とても嬉しくなった。
きっと彼女はそれを見る度に、旅での楽しい思い出と、
舞うように夢を追う大切さを思い出すに違いない。

ちなみに、こういった日本語のタトゥは、世界的に
とても流行っているらしい。
私はオーストラリアにいた時にも同じような相談を受けたことがある。
友達になったカナダ人の女の子が、
“Overcome myself”という漢字のタトゥを入れたい、と
相談してきたのだ。
「自分を越えたい」、「自分の弱さを克服したい」…

「自分を愛そう、受け入れよう」というモットーを持つ人は
結構いると思うけれど、彼女は決して今の自分に満足するのでは
なく、とことん自分の中の弱い部分を超越したい、という
強い想いを抱いていた。確か当時20歳だった彼女は、一見
ファッショナブルな今時の若い子って感じだった。
でもじっくり話していると、旅を通して自分を変えようとし、
自分と格闘しているたくましい姿が見えてきた。
さまざまな誘惑がある中で、自分の意志を貫き、強くなりたい。
そんな時に、「Overcome yourself」というタトゥを見て、
自分を奮い立たせたい、と彼女は説明してくれた。

私は考えたあげく、「我越」という字を薦めた。
四文字熟語を教えてあげたかったけれど、
どうしても適当なのが思いつかなかったのだ。
彼女はとても喜び、次行く町(メルボルン)に着いたら
入れる、と言っていた。その後、彼女の連絡先を
失くしてしまい、連絡が途絶えてしまったのだが、
果たして本当に入れたのだろうか?
私は今でも良く彼女のこと、そして「我を越える」という
言葉を思い出す。
私が旅が大好きな理由、それはこういった「頑張ってる人たち」に
沢山出会えるからだ。多くのことを犠牲にしてでも、
常に「攻め」の姿勢で生きること。そのエネルギーを
分けてもらえることは、私にとって何よりも宝となる。

☆Che Guevara☆

2005-03-01 | Weblog
彼を初めて知ったのは、ニカラグアの露店に
吊るされたTシャツを見た時。
黒いTシャツに、彼の顔が大きく
浮かび上がるように白で描かれていた。
その時の印象は、「この人、誰?ボブ・マーリー?」 
としか思わなかった。

その数日後、インターネットカフェで知り合ったアメリカ人のカップルに、
ホームパーティに誘われた。彼らの自宅とは、”Taquetzal Trekkers"という
ボランティア団体の本部。ニカラグアのストリート・チルドレンを教育し、
援助するNGO団体だ。彼らは観光客相手に、日帰り、もしくは一泊の
火山のトレッキングツアーを行っていて、その売り上げをすべて子供たちの
援助に役立てている。
当時そのメンバーは7人。みんなヨーロッパやアメリカからのバックパッカーで、
数ヶ月で国に帰ってしまう人もいれば何年もそこにいる人もいる。

もっとも長くいるメンバーだというオランダ人の男の子は、チェ・ゲバラのTシャツを着ていた。
年齢は20代半ばで、伸び放題のヒゲと後ろで束ねた長~い黒髪と力強い眼。
彼はこの団体の創始者だった。オージーの彼女と一緒にここで暮らしているという。
最初は怖くて目を合わせれなかったけど、翌々話してみると
とても落ち着いていて知的で、なんだかとても強い意志を感じた。
そして、妙にチェのTシャツが似合っていたのだ。
まるで彼のためにそのTシャツが作られたのではないか、と思うほどだった。
私が“そのTシャツかっこいいね!”というと、”だろ?チェは最高だよね!”
と誇らしげに笑った。その時私は、“やばい、チェは相当有名な人なんだろうなぁ…
まさかここで“チェって何した人?!”とは聞けない…”という変なプライドが
邪魔をし、チェの正体を聞くことができなかった。
それ以来、私はずっとチェが気になって仕方なかった。しかし友達に聞いても、
“キューバの革命家でしょ”とか“共産主義の人だよね”とか、曖昧な答えしか
得れなかった。
みんな何となくは知っているけど、具体的に何をした人なのかは分からないようだった。

日本に帰国後、偶然本屋で“チェ・ゲバラの遥かな旅”という本が目に飛び込んできた。
もともと“旅”というキーワードに敏感な私。“チェ・ゲバラ”と組み合わさっていたのを
みて、迷わず購入。あまりの面白さに、2日間で読み終えた。
私は昔から政治関係にはまったく興味がなかったのだが、チェを通して、
資本主義や共産主義の仕組みや、日本など先進国が及ぼす発展途上国への影響など、
一気に新たな世界の扉が開いた。

チェは今となっては偉大な革命家であるけれど、20代の頃は、アルゼンチンの
中流階級に暮らし医者を志す、ごく普通の男の子だった。しかしある時から、
生ぬるい環境に嫌気が差し、友人と共に南米大陸をボロバイクで巡る長旅に出た。
(映画“モーターサイクル・ダイアリーズ”は、これをもとにしている)
この旅を通して、チェは南米の原住民への差別と貧困の現状、アメリカの資本主義が
南米に及ぼす貧富の差と政府の腐敗を目の当たりにし、深い憤りを感じる。しかし、
怒ったところで、所詮彼は通り過がりの旅人だ。原住民たちの真の苦しみを共感することは
到底できない。彼には、いざとなったら帰れる安全な家と、待っててくれる暖かい家族が
いるのだ。それを全て捨て切ってまで闘う決心がなかなか付かなかった。

でも同時に、チェは何かに全身全霊で打ち込み、命を掛けて闘うものが欲しい、
という凄まじいエネルギーを抱えていた。そして、フィデル・カストロとの運命的な
出会いをきっかけに、彼と共にキューバ革命に身を投じ、その後も単身で中南米、
アフリカ、そして南米各国の民族独立運動を率いる、反資本主義の象徴となる。

妻子を南米に残し、キューバに旅立とうとしている息子を必死で止めようとする
母親に対し、チェは手紙で以下のことを書いた。
「…僕が自分の思想を軟化させ、利己主義的になれば云々、というあなたのアドバイスは、
人間として最も嫌悪すべきものです。軟弱な利己主義=低俗で臆病な個人主義的な
考え方を自分の中から駆逐するために、僕は僕なりに闘ってきたのです。
誤った自意識によって自己中心的志向しかできないボヘミアン的な要素を自分の中から
叩き出すために、僕は必死で闘ってきたのです…」

超資本主義国である日本に暮らしてて思うのが、いかにすべてが「お金」中心で
動いているかということ。自分の身を守るために貯蓄をし、生活をより快適にするために
消費をする。そのために、他の国は資源を剥奪され貧困に苦しむということに、
気付いてはいても、そのサイクルを止めることができない。常に動き続けなければ、
あっという間に経済大国は崩れてしまうからだ。
ボヘミアンからは程遠いと思っていた日本やアメリカという国だが、利己主義的さから
考えると、実はとてもボヘミアン的なのではないかと思った。

チェはかつて、キューバ政府の代表として日本を訪れている。戦後、ゼロの状態から
立派に経済を築いた、キューバ同様の島国として、参考にさせてほしいという願いを
込めての来日だった。チェは日本の工業に興味を持ち、自動車や電気工場などを視察した。
そういう風にいろいろな国の優れた所を選び、活かすことで、完全な共産主義でもなく
完全な資本主義でもない、その中間となる理想国家を目指したのだ。

チェの生き方を少し知った今となって、あのTシャツがなぜあのオランダ人に
似合っていたのかが改めて納得できた。
彼はチェと同様、自分の故郷を離れ、まったく違う国で、国民を助ける活動に身を
投じている。自分にとっては何の利益もない仕事で、いわば何の関係のない人たちを
援助している。これこそチェのいう、反利己主義的な生き方なのだろう。自分の国、
自分の家族、自分のことだけを考えるのではなく、地球全体の規模で考えること。
みんなそんな生き方ができたら、きっとこの地球は平和になるのだろう。


抜粋:集英社:土井十月薯「チェ・ゲバラの遥かな旅」