bon voyage!

ボディボーダー・ママののんびりオーストラリアライフ

surf, surf, surf !!

2004-08-29 | Weblog
今日も行ってきました☆
鎌倉、七里ガ浜。おそらく湘南一、海の
ダイナミックなパノラマ景色が見れるポイント。
台風のせいで、水は川水のように濁っていたけれど、
吸い込まれそうになるくらい美しく、
迫力に満ちた海の一面を見れた。

遥か遠くから等間隔に押し寄せる巨大なうねりの線と、
すさまじい音を立てて崩れるオーバーヘッドの波。
それを乗りこなす人と、
見事にボードから滑り落ちて
波の中に引きずり込まれる人…。
私も一時間ほどボディボードで入ったものの、
結局恐怖心が勝って一本も乗れずじまい。
押し寄せる波をくぐったあとに聞こえる
ズドドドーン!!という音と振動、そして
大雨のようなしぶきを(そして実際の雨も)
浴びるだけでも十分スリルがあった。

海は天気のいい日にのんびり入るのが理想だけど、
思いっきり大雨に打たれながら、
緊迫した台風の海に入るのも
またワイルドでいいと思う。

photo: shichirigahama, kamakura
(from Starboard Inc. website)




Inspiration

2004-08-27 | Weblog
The Big Picture :
広い視野で全体像を見据える。

仕事で都心に出ることが多くなったせいか、
休日はつい上り方面に足が向いてしまっていた、この一ヶ月。
オーストラリアではほぼ毎日、日本でもほぼ毎週行っていた海が、
最近はすごく遠い存在に感じていた。

昨日はそんな日常を打破するために、久しぶりに湘南へGO♪ 
一ヶ月ぶりに行った湘南は、台風接近で分厚い雲に覆われていたけど、
どんなに快晴の東京の街よりもさわやかだった。

場所は由比ガ浜と七里ヶ浜の間にある稲村ヶ崎。
久しぶりの運転、一ヶ月ぶりのサーフィン、台風で
サイズアップしまくりの波、初めて入るポイント、
・・・しかもひとりぼっち。 
いくつもの不安な要素が積み重なり、私は
海に入っても楽しむどころか、かなりテンパッていた。

海に浮かんで波を見てたら、後ろからいきなり声を掛けられた。
振り向くとそこにはなななんと、有名映画俳優兼ロングボーダーの
M.Kさんがいた!
私はよっぽど心細そうなオーラを出していたのだろうか、
もしくは素晴らしい奇跡が起きたのか、
彼は気の利いたジョークとウィンクを、私に投げかけてくれた。

彼を見てたら、なんかすごく自分に危機感を感じた。
なぜなら彼が発する強烈なパワーを目の当たりにしたからだ。
本当に心から今を楽しんでいて、人の目を気にせずに
思いっきりまっすぐ、楽しみながら生きてる☆って感じの、
ものすごいエネルギーを。

私はオーストラリアから帰ってきてからというもの、
ワーホリ症候群なのだろうか、どんどん他人、
そしてその他すべてのことに対して、
自分の心に壁が出来ている気がしてならない。
上を見上げても、ビルに縁取られた長方形の空しか見えない
都会暮らしに、ものすごく嫌気が差す時もある。 
でもってそれを愚痴ってばっかりで
何も行動できない自分が余計嫌だったりする。
そのビルの間から見える空の景色と一緒で、
自分の視野もどんどん狭くなっている気がするのだ。

そんな自分に足りないものを、思いっきり持ってる人を
久しぶりに見て、すごく刺激的だったのだ。
オーストラリアでもカリフォルニアでもない
湘南で、しかもこんなに近くにそんな生き方をしている人が
いることを知って、すごく勇気付けられた。
少しだけ、広い視野で世界が見えた気がした。

あ~~~、とにかく一日経った今日も、まだ興奮が冷めない!
それくらいインパクトのある、ステキな人だった!
湘南マジックを経験できた、本当にラッキーな一日☆


photo: rottnest island, australia

ultimate destination

2004-08-25 | Weblog
「きっと私たちは、多くの選択などないのかも知れない。
 ただそれぞれが行き着くところに行き着くだけだ。」

星野道夫の「長い旅の途上」 からの一節。
彼にそう言われると、すごく心に響く。
彼の生き方は本当に自然で、最後まで
徹底して自分らしかったからだ。

アラスカに魅せられ、留学をきっかけに移住。
以降、その雄大な自然を題材に多くの素晴らしい作品を
残した写真家、星野道夫。 不幸にも93年に、ロシアの
カムチャツカで番組の撮影中に熊に襲われ死亡した。

彼の死は本当に残念でならない。
しかし逆に彼の死は、死というものに対する恐怖を
和らげてくれる気がする。熊を愛し、その生態を
知り尽くしていた星野道夫にとって、その熊に襲われて
死ぬことはある意味本望だったのではないか。
人間は自然の一部であることを、彼は身でもって
証明してくれた気がするのだ。

死とは人間にとって最大の恐怖だ。
しかし、死という終わりを意識することで、
心に平和をもたらすこともできると思う。
何事も期限があると気持ちに張り合いが出るもので、
私もワーホリでの一年間、常にこの一年という
期限を意識して生活していた。終わりがある、と
分かっていたからこそ色々なチャンスを最大限に活かし、
一日一日に深みが増した気がするのだ。

行き着くべきところに行き着く。
それぞれの人が持つタイムリミットまでの
残された時間を、いかに自分らしく生きるか。
それが星野道夫のメッセージだったのだろうか。


photo: byron bay, australia

tattoo taboo

2004-08-20 | Weblog
「タトゥを入れる主婦が急増中 …
一体彼女たちは何を考え、こんなことをするのか!?」 
昨日、ワイドショーでそんな話題を取り上げていた。
別に主婦であろうがバイカーであろうが
タトゥを入れてもいいじゃないか、
って思ってちょっと呆れてしまった。

最近では日本でも若者に大人気のタトゥ。
一昔前の「タトゥ=やーさん」というイメージは
もはや消え、今ではピアスを開ける感覚で
腕や腰に小さなモチーフを入れる人が多い。
まぁ、確かに自分の母親がいきなりタトゥを入れたら
相当引くと思う。けれど、20代、30代の未婚の
女性がタトゥーを入れても誰も大して驚かないのに、
なぜ結婚した途端それをやることがタブーになってしまうのか。

近年悪化の一歩を辿る晩婚化。
「主婦はこうでなければいけない」と、社会が女性の
あり方を決め付けることに女性は深い抵抗を感じ、
結婚を敬遠してしまうのではないだろうか。
時代の流れにそぐわぬ価値観を女性に押し付けることが
晩婚化という現象を招いているのだと思う。

photo: khaosan road in bangkok, thailand

tardy!!

2004-08-19 | Weblog
あと5分で飛び立つ飛行機に乗るため、大慌てで空港を走っている夢。
こんな疲れる夢を夕べ見た。
実はこれは過去に、本当に経験した。
しかも2回も…☆

一回目はバリから帰る時。旅中ず~っと、
帰りの時間を勝手に夜8時だと思い込んでいたら、
実際は7時だった。
口笛を吹きながら空港に6:50到着。
そこで、初めてチケットに目をやると…「?○▲%!@*?」
大焦りでカウンターに行くと、(当然)客は誰もいない。
係のお兄さんに、「oh my god!!!」を連発し、チケットを
見せたら、ゲラゲラ笑われた。
「笑ってる場合じゃないんですけど!私はまだ乗れるの?!」
って聞いたら、「tidak apa apa! 乗れるけど~、、いいんじゃない?
もう少しバリにいるのも」
っていうなんともバリ人らしい暢気さ。
そりゃいたいのは山々だけどさぁ。

二回目はタイからの帰り。朝7時のフライトだったので、
4時に起きてシャトルバスで私が泊まっていたカオサン・
ロードの宿から、1時間半離れた空港まで行く予定だった。

が。なぜかその時、携帯電話の目覚ましがサイレントに
なっていたのだ。いつもは大丈夫なのに、その数日前に
なぜか設定を変えていたのだ。
腹時計が鳴ったのか、朝6時にさわやかに起床。
状況を把握するまで数分かかった。
今日の予定を思い出し、ひとりで大騒ぎした後、
急いで荷物をまとめチェックアウトし、タクシーに
飛び乗った。

空港まで一時間半かかるはずなのに、私の祈りが通じたのか
奇跡的に40分で到着!! タクシーの運転手に本来の3倍の
値段を吹っ掛けられつつも、交渉している時間もないし、
この飛行機に乗れるならいくらでも払うよ!って感じだった。
「またもや10分前到着?!」って泣きそうになりながらも
バリでの経験があったので、心の中では密かにちょっと余裕が
あった。

しかし最終的には乗れるとはいえ、そこまでの道が険しいのだ。
チェックインカウンターに大行列が出来ている中、
厚かましくもカウンターに行き、睨み付ける客に謝りつつ、
いかに自分がヤバイ状況にあるかを係の人に伝える。
すると「しょうがないわねー」と自分を優先して
チェックイン手配してくれる。(ホント迷惑)

でもって次の関門はパスポートチェック。これもまた長蛇の列。
タイでは、列の一番前にインド人の優しそうなおじさんが
いたので、恐る恐る状況を説明したら、「いいよ、どうぞ」と譲ってくれた。
本当に神様に見えた。散々人に迷惑を掛けた分、いつか自分がもし
逆の立場だったら絶対に他人に親切にしようと心に決めた瞬間だった。

結局、出発時間の4分前に飛行機に滑り込みセーフ。
とはいっても乗ってからはかなり余裕の雰囲気で、あの
嵐のような10分間は一体何だったんだ?って気が抜けてしまった。

それにしても、10分前に空港に着くのが通用するのって、
バリやタイみたいにのんびりした国だけなんじゃないか?って
気がする。日本だったら恐らく無理だろう。

ちなみにこの空港の夢。
夢分析したみた所、空港=大きな目標への旅立ち・決意
走る=積極的に目標や目的に向かって歩んでいる事の表れ。
急いでいるのは、少し気持ちがあせっていることを表す。

ちょっと納得、である。私の場合、相当焦ってるらしい。
それにしても疲れる夢だった…。

photo: coolangatta airport, australia






insecurities

2004-08-19 | Weblog
いわゆる、コンプレックス。
コンプレックスという言葉は和声英語なのだろうか、あまり耳にしない。
ずっとこのinsecurityっていう言葉を思い出せなかったんだけど
今日友達と会ってて久しぶりに耳にした。

誰でもひとつは必ずあるinsecurity。意外とやっかいなモノで
思わぬところでコイツが原因でトラブルになったりする。
っていうか、自分が囚われる悩みの根源を突き止めると、
ほとんどはこのinsecurityが犯人だったりする。

insecurityをカバーするために強がったり、他人を敵対したり、
傷付けたり。自分の中で解消すればいいのに、他人を
巻き込んででしか向き合えない場合もある、迷惑なヤツだ。


でも逆にそれは意識すればするほど、他人を理解するカギにもなる気がする。
自分がなにか気に障ることを言われても、いちいち自分への中傷として
受け取らずに、この人はこういうinsecurityからそういうことを言うのかな?
って冷静にその人と向き合える。

life is like a mirror; what you love in others, you love in yourself.
what you hate in others, you hate in yourself.
他人を非難する前に、まず自分に心覚えがないかを考えれる人になりたい。

photo: nusa lembogan, indonesia

moonshine conspiracy

2004-08-15 | Weblog
深夜残業をしていたある夜のこと。当時働いていた六本木の
高層ビルのオフィスから見事な満月を見上げながら、同僚が言った。

「私、占い師に “あなたの前世に、ジャングルの中で
肩にサルを乗せて満月を見つめる少年が見えます”って
言われたことがあるんだ…。」
そのせいなのだろうか、彼女は良く月を見ると、
引き付けられるように目が離せなくなるという。

輪廻転生を信じるか信じないかは別として、
ステキな話だなぁと思った。

私も以前、オーストラリアのヒッピーに、古代インディアンが
生み出した占いとやらをやってもらったことがある。
その時言われた言葉は、今でも良く覚えている。

「あなたは、月が太陽の光を吸収して地球に反射するかの如く、
 周りの人たちに、太陽の光を優しく投影するような人です」

ちょうどその当時、私はちょっとした商売として、suncatcher という
クリスタルのアクセサリーを作っては、ビーチで露店を開いて売っていた。
カットされたクリスタルガラスとビーズからなるsuncatcher。
部屋の窓や車のバックミラーからぶら下げると、太陽の光を
反射してプリズムのように虹色の光を周りに映し出す。
占いの言葉を聞いた時、このsuncatcherの事を思ってちょっと
ドキっとした。

月が太陽を投影するように、このwebsiteを通して、誰かが何かを
感じてくれますように。

photo: art of christian lassen

DATSUN MAGIC

2004-08-14 | Weblog
オーストラリアで乗っていた愛車のダットソンちゃん。

車種は名前通り、日産ダットソンのパルサーで、
2ドアのハッチバックタイプ。
1982年型のおじいちゃんカーだ。

めちゃめちゃ古いにも関わらず、外観・内観ともに驚く程キレイだった。
きっとその前の主人は優しいおじいちゃんで、
大切に使われていたんだろうなぁ~って思わせるような
渋い趣きを持っていた。

本当はいかつくフォードファルコンか三菱マグマのワゴンを
買って、音楽をガンガン掛けながら、友達大勢でサーフィンに
行くのを想像していた私。
ディーラーにこの車を紹介された時は、
「私の話、聞いてた?」ってちょっとキレそうになった。
でもいざ乗ってみると、何ともいえない安心感を覚えたのだ。
あの絶妙な狭さと、時代を感じさせるシンプルな機能。
テーププレイヤーはもちろん、FMラジオすらないステレオには
脱帽した。 
ボンネットを開けると、オモチャのような小さなエンジン。
これで本当に走るの??って不安になるような、
可愛らしい部品が並んでた。

今考えると、なんであの車を買ったのか良く分からない。
本来の条件をひとつも満たしていないではないか…!
私はダットソン・マジックに掛かってたのだろうか。

唯一思い当たる理由がひとつ。
実は私はペーパードライバーで、車に関しては全くの初心者だった。
洒落た機能がごちゃごちゃ付いている車よりも、むしろこういう
小型のベーシックな車の方が私には向いている気がしたのだ。

とにかく、散々悩んだ挙句 1500AUドル(約12万円)でお買い上げ。
AMラジオから雑音混じりに聞こえる古い歌謡曲をBGMに、
ゴールドコーストの夜のハイウエイを走っていると、80年代に
タイムスリップしたような錯覚に陥った。
人様を乗せる自信はなかったので、
「ここで死ぬかも知れないんだなぁ…」って独りで命の尊さを
噛み締めながら、小さなハンドルを強く握り締めた。

結局、この車は4ヶ月しか持たなかった。
買った当初は調子良かったダットソンちゃんだが、
ゴールドコーストからバイロンベイに引っ越す際の
長距離移動(…とは言ってもたかが1時間の距離)を
きっかけに、不調を来し始めた。

一時停止する度にエンストしそうになったり、エンジンが
急にかからなくなったり、ドアのロックが壊れたり、排気管に
穴(?)が開いたり… 何回修理に出しても、新たな問題が
生まれる、本当にやっかいな車だった。

しかし、そんなときに救ってくれたのがオージーの優しさ。
私がボンネットの前でボー然と立ち尽くしているのを見て、
必ず誰かが「大丈夫?」と天使の一声を掛けてくれた。
そして古い車を扱うのに慣れているのか、すぐに問題箇所を
見つけては道具箱を取り出し、チャチャっと応急処置を施してくれた。
迷惑とは分かりつつも、その優しさに甘え、限界までこの車を
乗り続けていた私。本当に情けない話だ。

最終的には買値の3分の1でディーラーと手を打ち、
ダットソンちゃんにお別れを告げた。
今も彼はオーストラリアのどこかで、誰かを乗せているのだろうか。
それとも使える部品だけ解体され、廃車になってしまっただろうか。
(果たしてダットソンの部品に需要があるかどうかは疑問だけど)

色々大変だったけれど、おかげで最高に自由で冒険に満ちた
4ヶ月間を過ごさせてもらった。車なしでは絶対に
出会えなかった沢山の美しい風景と、楽しい出来事。
頼りない車だったけど、その存在だけでもなぜかとても心強かった。
かけがえのない時間を共有した、大切な旅友。

ダットソンちゃん、本当にお疲れ様でした☆




my love

2004-08-13 | Weblog
☆クジラとイルカとの出会い☆

舞台は、私が小中学校時代を過ごしたアメリカ中西部のミズーリ州。
海からは程遠い場所であるにも関わらず、この頃から
クジラとイルカという動物に何となく興味があった。

小学生の時に、遥か遠きカリフォルニア州の
自然保護団体が行なっていた
“Adopt-A-Whale Program”という
基金に寄付したのを覚えている。
内容としては、一定のお金を寄付する代わりに、
その保護団体が追跡調査している数々の
野生クジラの中から一頭好きなのを選び、
そのクジラの“里親”になることができる。
すると毎月、そのクジラの追跡記録などが郵送されてきて、
その成長を見届けられる、という面白いプログラムだ。
ちなみに私のクジラの名前は“Midnight”。
可愛らしい真っ黒の赤ちゃんクジラだった。

その頃は、「イルカよりもクジラの方が人気がなさそうだから
私はクジラ派になろう」という意味不明な同情心でクジラを
守る活動に賛同していた。しかし、高校生の時に偶然見た
TVドキュメンタリーをきっかけに、私は一気にイルカ派に
転身したのであった…!! 

このドキュメンタリーとは、日本の自閉症の子供達を
野生のイルカに会わせることでセラピーを
試みていた、アメリカの団体についてのもの。
両親とでさえ目を合わせようとしなかった5歳くらいの子供が、
ボートからイルカを見た瞬間、初めて笑顔を見せたのだ。
そして驚くことに、自分から体をのめり出して、イルカと一緒に
水に入りたがったのである。
これには両親も言葉を失い、涙を流して喜んだ。
他者とのつながりを一切拒んでいた子供が、
初めて心を開いたのがイルカだったのだ。

私がこの団体の活動に感銘を受けたことがもう一つある。
それは、イルカを野生の状態で扱っていることだ。
日本、そして世界に数多く存在する、イルカの「癒し効果」を
商売にする施設や水族館。
「イルカが人を癒す」→「イルカをプールに閉じ込めて、
人を癒す商売に使う」
私はこの発想に、ものすごく疑問を感じる。
例えて言うならば、おとぎ話に出てくる魔法の小槌。
欲を出し、商売目的にその魔法を使った途端、
バチが当たって小槌からはゴミしか出てこなくなる、
という話に似ている。 (確かそんな話だった…)

なぜイルカは自分の幸せを犠牲にしてまで
人間の幸せに貢献しなければいけないのだろう?
私はカリブ海やオーストラリアで、野生のイルカを何回も
見たが、水族館で見るイルカとは全く違う生物なのではないかと
思うくらい、自由気ままで生き生きとしていて、
真の野生のたくましさを感じた。

初めてカリブ海のベリーズという国でボートからイルカを見た時、
私はそのあまりの人間への無関心さに戸惑いすら感じたのを覚えている。
イルカは魚を取ったり、恋人とじゃれ合うのに必死で、
私たちのボートなんてほとんど眼中になかった。
「イルカってもっと人間に興味津々で、
向こうから近づいてくるものなんじゃないの?!」…と
私は内心ちょっとガッカリした。

それから3年後、オーストラリアでのワーホリ中は
数え切れないくらいのイルカと海で遭遇した。
サーフィンをしていると、ブハッ!!という(イルカの
頭上の噴気孔から息を吸ってる)音と共に現れる、
優雅な曲線を描いた背中と尾びれ。
この瞬間、私はいつも心臓が口から飛び出しそうになる。
「イルカだ~~~!!!」と心の中で叫ぶ一方で、
「いや、まさかサメ…?!」っていう疑惑もあるからだ(笑)
運のいい日は、イルカがサーファーに興味を持って、
からかうようにサーフボードの下をすごいスピードで
くぐっていったり、同じ波に乗ったり、なんとなく近くで
様子を伺っていたり。でも大体の時は、どこかエサが豊富な
所へ向かっている途中なのか、熱い視線を送る私を横目に、
あっさり通り過ぎていくだけである。

野生のイルカはよほどのことが無い限り、
人間に触らせてくれることはない。
良く考えれば、野生の動物なのだから当たり前のことだ。
最初はちょっとショックだった、イルカのクールさだが、
良く考えるとそれがイルカの魅力のような気がする。
忠実な飼い犬のようなイルカより、自由奔放で、
一瞬姿を現しては、またすぐもっと楽しい所を
求めて消えてしまう…そんなニクいイルカの方が、
私は心を惹かれてしまう。

photo: one of my favorite photographers,
    高砂淳二さんの写真集より

timido chica

2004-08-12 | Weblog
私の昔からの悩み。

それは人見知りであること。

これは誰に言っても笑われ、信じてもらえないのだが
私の中ではかなり深刻な悩みだ。
かに座だからだろうか、私はすぐ自分の殻の中に逃げたくなり、
なかなか他人との間の壁を壊せない。

そんな弱みを克服したい!という思いもあって、
一年間のオーストラリア行きを決意した。
オーストラリアの広大の自然の中でイルカと泳げば、
心が癒され、自信を持って人と接することができると思った。

結果から言えば、この目標は達成した。
しかし、イルカだけの力では成し遂げることはできなかった。
良くイルカと泳いだ日を境に人生観が変わった!とか聞くが、
私の場合そんな即効性はなく、確かに心の栄養にはなったけれど、
結局の所は、地道に色々な人と接し、心を開く訓練をすることが必要だった。

その訓練所となったのが、以前の書き込みでも紹介した、バイロンベイ。
ワーホリ折り返し地点の半年目、私はこの町に住むことにした。
そして、ここでの出会いの数々によって私はものすごく心を潤され、
人生を楽しむ術を教わった気がする。

バイロンはオーストラリアでも有名なヒッピーの聖地で、
世界中から愛と平和を愛する人たちが集まっていた。
普通の社会の基準からは完全に外れているけれど、
なんとも自然で美しい生き方をしている人が大勢いた。
癒しの聖地なだけに、元アル中、薬中、社会から疎外されている
アボリジニなども、安らぎを求めバイロンに住みつくのも事実。
でも、どんな過去のある人でも、皆本当に優しく、寂しく、
儚くも強い人間であることが伝わってきた。
日本だったら絶対目を合わせないようなホームレスのおじさんでも、
バイロンにいると普通に笑顔を交わせるような… 
そんな魔法がこの町にはあった。

そんな不思議な町で、私は内心怖くても、
無理して色々な人と話すように自分を仕向けた。
最初はすぐ居心地が悪くなって終わらせてしまった会話も、
だんだん慣れてきたら自信がつき、ものすごく快感にすらなってきた。
絶対この人とは話すことが無いだろうなぁ…と思うような人でも、
話してみると意外な共通点があって超盛り上がったり、
未知の世界観を教えてくれるナビゲータとなったり。

そんな出会いを繰り返すうちに、私はすっかり旅と、
旅がもたらす出会いの素晴らしさにハマっていた。

不思議なもので日本で暮らしていると、
知らない人と話す機会が少ないせいか、
せっかく開いた心の扉がどんどん閉まっていくのを感じる。
どうしたものだろうか…
危機感を感じた私は最近、英会話講師という職に就いた。
毎日何人もの初対面の人との会話を
リードしていかなければいけないこの仕事は、
ある意味ものすごくキツイけれど、
旅をするのと同じような爽快感を与えてくれるのも事実だ。

昔は大嫌いだった自分の弱点がきっかけで出会えた
オーストラリアと、講師という仕事。
弱みを強みに変える、そんな進学塾のキャッチコピーみたいな
発想が芽生えつつある今日この頃である。

photo: byron bay, australia

rainbow skies

2004-08-09 | Weblog
オーストラリアで見た、初めての虹。
これをずっと見てるうちに、気づいたら虹は消え、
代わりにピンクと青の素晴らしい夕焼けが広がってた。

これを境に、数多くの虹を、色々な場所や
シチュエーションで見た。

何日も続いた雨の後に、
お詫びするかのように広がる虹。

海に入っていて、波が割れるのを裏から見た時に、
波のしぶきによってできる虹。

水平線上に180度めい一杯浮かぶ虹。

昔から虹の麓には、pot of gold 
(金が詰まった壺)があるという。
人間は皆、実体のない幻を求めて
生きているという意味のことわざだ。

私はどんなに忙しくても、虹を見て「今」の
尊さと儚さを感じる心を持てる人間でいたい。

photo: coolangatta, australia

flower power

2004-08-09 | Weblog
ハワイのフラダンスの番組で、
インストラクターの女性が言っていた。
「生きた花を身に付けることはとても大事。
花を付けることで、自分が生きてる喜びを
謳歌しましょう」と。

数日前に参加した友人の結婚式でも、
フラワーシャワーやコサージュ、ブーケなど
様々なところで花が登場した。
文字通り「花嫁」の最も美しく生き生きとした日を
象徴する花。

結婚する人もしない人も、花がもたらす幸福感と
リラックス効果を利用して、日々の生活にflower powerを!

photo: perth, australia

travel bug

2004-08-06 | Weblog
もう当分旅はいいかな~と思ってたけど、
最近また発病してきた。

むずむずむずむず……

どこに行きたいかというと、
南米!!! 

バイロンベイにいた頃、海辺である旅人がこんなことを言ってた。

「バイロンは観光地化されすぎ!サーフィンするにも駐車規制が
厳しくて車を止めれない。ホント不便だよ。

ブラジルにいた頃は、馬に乗って海に行ってたよ。
サーフィンしてる間は浜辺の木に繋いでおけばいいんだ。」

このあまりにもワイルドな話に私は度肝を抜かれた。
私からしたらバイロンベイは自由の象徴のような町だったから、
それを「規制が多すぎる」っていう人の気持ちが良く分からなかった。
その話を聞いて以来、ブラジルで乗馬で海に行くのがちょっとした夢になった。


あともうひとつの理由は、言葉の通じない国に行くのが好きってこと。
もちろん英語圏も楽しいけど、言葉が通じない方が
シンプルにストレートに、相手と向き合える時がある。

自分が自由に操れる言葉だと、いくらでも自分の本心を
隠せるし、うまく誤魔化すことができる。
一時間話しても、心を許さず終わる空虚な会話もある。

でも言葉が通じない人との会話は、時間と忍耐力と
「この人の事を知りたい!」という強い意志が必要になる。
あと恥を捨てる覚悟も。
本当にくだらない小さなことでも、身振り手振りで一生懸命
伝え合わなければいけない。 
その分、それが伝わって会話が成り立ったときには、お互い
すっかり打ち解けて、偽りではない笑顔と心の繋がりが
生まれてる気がするのだ。

break out of the comfort zone: 心地良い、生ぬるい環境から抜け出す。
自分が慣れ親しんだ人間関係や生活環境に甘んじるのではなく、
自分と違う人々、違う環境にあえて身を置くことって
すごく大事だと思う。


photo: cairns, australia